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千鹿頭神社の基本情報

住所長野県松本市神田1-16
行き方

JR篠ノ井線南松本駅 から徒歩約50分/車で約15分

アクセスを詳しく見る
名称千鹿頭神社
読み方ちかとうじんじゃ

詳細情報

ご祭神千鹿頭神
ご由緒

(千鹿頭神社沿革 のプレートより)

 千鹿頭神社の創建については詳らかではありませんが、太古の昔より諏訪信仰と深い連りのある千鹿頭大神を祀り伝えてきた社であります。古は先の宮(現在の四阿付近)にありましたが、中世には戦乱によって社殿も焼失し、その後、現在地に移されたと伝えられています。
 元和四年(一六一八年)、当時の松本藩領であった神田村以南の地(東五千石)が諏訪高島藩領に移され、その境界を千鹿頭山の尾根とされた為、現在の地に社殿を二分する形となりました。
 現在の神田側社殿は正徳五年(一七一五年)高島藩主諏訪氏の寄進により、諏訪の棟梁が建造。林・大嵩崎側社殿は元文五年(一七四〇年)松本藩主松平氏の寄進により松本の棟梁が建造にあたり、それぞれの社殿は、時代、地域の特色を残しております。また卯年と酉年に行われる御柱大祭等重要な行事をはじめ、例祭は従来通り神田、林・大嵩崎の両氏子が共に行っております。
 平成七年には両社殿が松本市重要文化財に、平成十二年には御柱大祭行事が松本市無形文化財に指定されました。
 この度、風光明媚な千鹿頭山の自然環境をより良く整えて、文化財と共に後世に伝えられることとなりました。

                                                                                                                

(『千鹿頭神社先宮』の由来 立て札より)

 かつて『先ノ宮(まずのみや)』と呼ばれ、大巳貴命すなわち大国主命を祭神とした独立社であったが、現在は「千鹿頭神社の前宮」の位置づけとなっている。
 昔は「服神社」(現在の千鹿頭神社後宮)や王子稲荷神社と共にかなりの規模の社であったと伝わる。享保五年(一七二〇)に水野氏に差し上げた『千鹿頭縁起』の中に「……府中六社ノ内ニマヅノ宮明神トテ社アリ……」とある。府中六社とは山家組薄宮・庄内組大宮社・筑摩八幡社・旧深志城内八幡宮・島立組沙田神社と当『先ノ宮』で、何れも小笠原氏の祈願所とされた。
 このように、往時は廣澤寺・富士浅間神社を含めた小笠原氏関連の一大霊地となっていた。(後に王子稲荷神社は深志城内に、富士浅間神社は宮村へと移された。)しかし、相次ぐ火災や小笠原氏の移封、更には諏訪藩への領地分割等により規模を縮小し、当社も当時の面影を伝えるものは数個の残存する《礎石》のみである。
 なお、領地分割後千鹿頭神社一帯の社は関連小祠に至るまで全て林村・神田村両村二社分立の形式となっているが、この『先ノ宮』のみ何故一社となっているかは不明である。

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