とがくしじんじゃちゅうしゃ
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楽しみ方戸隠神社中社のお参りの記録一覧
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【信濃國 古社巡り】
戸隠神社・中社(ちゅうしゃ)は、長野県長野市戸隠にある、戸隠神社(※詳細は下記)を構成する5社のうちの1社。また戸隠三社というときの1社。祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかね)。
平安時代の1087年の創建。『戸隠山顕光寺流記』によると、当時の別当が「当山は三院たるべし」との夢告を受け、奥院(現奥社)と宝光院(現宝光社)の間に中院(現中社)を創建したとされる。神仏混淆の時代には中院と呼ばれ、明治時代の神仏分離により中社となった。
当社は、宝光社と奥社の間にある。境内は鳥居のある段と、三本杉のある段と、社殿がある段の3段があるが、さほど高低差はない。戸隠三社権現の1つと言われるだけあって、社殿は大きく荘厳。境内やその周りに散在する巨大古木が見事。
今回は、旧国幣小社である戸隠神社5社のうちの1社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、参拝者はかなり多くの参拝者が来ていた。
(※)戸隠神社(とがくし~)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺の、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の5社からなる神社。旧社格は国幣小社。祭神は、奥社が天手力雄命(あめのたちからお)、中社が天八意思兼命(あめのやごころおもいかね)、宝光社が天表春命(あめのうわはる;中社祭神の御子神)、九頭龍社が地主神の九頭龍大神、 火之御子社が天鈿女命(あめのうずめ)。別称は「戸隠権現」、「戸隠三社」。
説によると、奥宮の創建は孝元天皇5年(紀元前210年)と言われ、九頭龍社はそれよりも古いとしている。戸隠山は、天照大神が籠っていた「天の岩戸」を天手力雄命が投げ飛ばした際の破片が飛んできて山となったと言われ、地主神である九頭龍大神が天手力男命を迎え入れたのが始まりとされる。『日本書紀』に記されている「水内の神」が戸隠神社であるとする説もある。平安時代の849年に僧・学問が奥社の地で初めて修験を始めたとされ、その後、天台密教、真言密教、神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として発展し、修験道場・戸隠十三谷三千坊として比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺とともに「三千坊三山」の1つとして全国に知られるようになった。鎌倉時代には当山(延暦寺山門派)の別当であった栗田氏が山麓の善光寺(園城寺山門派)の別当をも世襲したため、両寺は関連を深めた。戦国時代に当北信濃地域は、甲斐國・武田信玄と越後國・上杉謙信との争乱に巻き込まれ、栗田氏は分裂させられ、苦境の時期を過ごした。江戸時代に入ると、徳川家康から朱印地1000石を与えられ「戸隠山領」が成立し、同時に東叡山寛永寺の末寺となった。次第に農業神、水の神の性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。明治時代になると、神仏分離令や修験宗廃止令により廃仏毀釈運動が起き、戸隠山顕光寺は寺院を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。


初めて訪れたのは昨年の9月。涼風心地いい頃でした。最近、Instagramで戸隠の冬の風景がUPされているのを見て、もう一度行きたいと思い戸隠へ。9月の中旬には早くも葉が黄色くなり始める山の上。地元の友達の言葉によると「戸隠は豪雪地帯じゃないし、道路も除雪してあるからスタッドレスタイヤで大丈夫」という言葉を信じ雪山へ。
1/19はウェザーニュース社によると、戸隠はちょっと雪が降りますよ〜的な事を言ってましたが行ってみると大雪。
スタッドレスタイヤでは滑りまくりで、使わないであろうと一応積んでおいたタイヤチェーンが大いに役立ちました。
あとで「今日、戸隠に行ってきたよ」と長野住みの友達に言ったら、「えっ!今日来たの?今日はダメでしょ〜。地元の人は絶対行きませんよ!」と言われ半笑いされましたとさ。
写真は、初秋と真冬との比較で両方載せました。


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