ちょうこくじ|曹洞宗|真田山
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楽しみ方長國寺のお参りの記録一覧

松代藩真田家の菩提寺。
1547年真田幸隆が伝為晃運を開山として創建した長谷寺を起源とする。
1622年初代上田藩主・真田信之が松代に国替となり現在地に移された。
重文指定されている真田信之霊屋は1660年松代真田家初代・真田信之(昌幸の子・信繁(幸村)の兄)の菩提を弔うため建立された。
長国寺には真田信之(松代藩初代藩主)、真田信政(2代)、幸道の母松寿院、真田幸道(3代)、真田信弘(4代)の5棟の霊屋が建てられた。
幸道の霊屋は1886年本堂再建の際に移築され開山堂になっている。
信正の霊屋は1952年林正寺に移築され本堂となった。松寿院の霊屋は孝養寺の本堂として移築されたが1891年に焼失している。

本堂

本堂

本堂

本堂


開山堂

山門

山門

僧堂

放光殿

庫裏

庫裏

鐘楼

鐘楼



恩田民親(松代藩家老)墓

真田信之霊屋

真田信之霊屋

真田信之霊屋

真田信之霊屋

真田信之霊屋表門

真田信之霊屋表門

真田信之霊屋表門

真田家墓所

真田家墓所

真田信之墓

真田信之墓

真田信政墓

真田昌幸、真田幸隆、真田信綱墓

真田幸村、真田大助墓

長野に来て4日、さすがにちょっとホームシックに駆られてきて、ちょうど上田に続く県道にいるしそろそろ帰るか( ´・ω・`)と思ったのですが・・・
やはり初めての土地は新鮮でどうにも名残惜しく、今日一杯は松代を堪能し翌日帰ることにしました。
主要な神社はほぼ行き尽くしてしまったので、残りの時間はお寺巡り。とはいえ松代は城下町だけあってかなりの数の寺院がある(@_@;)
このうち受印できなそうな浄土真宗本願寺派の二寺は外しw さらに厳選を重ねて辿り着いたのがこちらのお寺。
真田家の菩提寺で、真田信之公の御霊屋と松代城歴代当主の墓所があるとのことだったのですが・・・これらは要事前予約だったようで見れんかった orz
この日は観光客が少なく予約なしでも見れたようなのですが、タイミングが悪いことにどうも直前に拝観希望の客が一組いたらしく、案内人が出発してしまった直後だったらしい(>_<)
すでに3時過ぎくらいで次を待つほどの時間もなかったので、まぁいいかと思い受印だけしてお寺を後にしました(^^;

真田家墓所は見れませんでしたが受印できました

山門
墓地の一部を除く寺域全てが国の史跡に指定(゜゜;)


本堂
境内はかなり広いです

高い屋根に六文銭
シャチホコは海津城から移築されたものとのこと

山号はズバリ真田山


左にお堂が二つ

こちらはたぶん禅堂

こちらは放光堂とあります
この二つは寺のホームページに載っておらず詳細不明

この時は真田家墓所が案内が必要と知らず、たぶんこの先にあるんだろうと思い一般墓地をウロウロw

真田家墓所は見つからないが・・・恩田木工民親?
まぁいい、とりあえずこの人の墓所を探してみようw

ほうほう・・・(゚_゚)
どうやら松代藩が財政危機に陥った時、それを立て直した名家老のようです

これか?と思って拝んだのですが、これは供養塔か何かだったらしい(^^;
右から二番目のやや明るめ墓標に「越後州賊兵蜂起」と読めるので、川中島合戦に関係するものか?


どうもこれらしい
真田家のお墓は拝めませんでしたが、陪臣のお墓は拝めましたw

御朱印をいただくため書院へ
ここにも真田家関係の資料が少しあります

お守り等ではなく普通のストラップなどが多いw

本堂の方も見れるらしい

御本尊を拝ませていただきました

眞田家ゆかりの地にいけてよかったです。

直接記載してもらいました。

カッコいいです。

参拝記録

御朱印帳。
一目惚れしました。

参拝させていただきました。

真田家ゆかりの寺院🙂🙏🙏
1547年創建。曹洞宗真田山(しんでんざん)長國寺です🙂
開基は真田幸隆(信之の祖父)。御本尊 釈迦牟尼仏です。
真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもあった長國寺には、真田一族ゆかりの寺宝が数多く残っています。
長國寺と最も深い縁のある初代松代藩主真田信之は松代藩真田家の礎を築き真田家300年の歴史をつくった功労者ですね😲🙏
「初代松代藩主真田信之公の霊廟」は国指定重要文化財に指定されています😲
今回、霊廟は屋根等の改修工事の為見る事はできませんで来たが40年に一度の改修らしく、これはこれで貴重な体験でした。また、来る機会が出来たと言う事で🙂
霊廟の裏手にある歴代藩主の墓所は真田家300年の歴史を語るように静寂な佇まいを見せてくれます。
拝観(外観)をするとボランティアの方の説明を受けながら廻れるので、「なるほど!!」と言ってしまうお話がたくさん聞けます🙂
10分位で廻れます🙂
御朱印帳は拝観前に預けましょう🙂🙏

いよいよ真田菩提寺「真田山長國寺」へ🙂🙏

総門です

見えてきました😲😲

本堂外観です。屋根の上に六文銭。
屋根は不思議な造りで今まで見た事がありません😲🙏

この鯱は海津城(松代城)にあった物を移設しています🙂

鯱・結び雁金・瓦の六文銭。
このアングルが面白いですね🙂

開山堂です🙏

初代真田信之公御霊屋は40年に一度の柿葺き(こけらぶき)等の修復工事中で拝む事が出来ませんでした🙂🙏

現在、修復中🙂🙏

真田信弘公の霊所へ向かいます🙏

四代真田信弘公御霊屋🙏
位牌が安置されており、今で言う大きな「仏壇」だそうです。
屋根には左「六文銭」右「結び雁金」(むすびかりがね)が見えます。
ガイドさんの説明はわかりやすいですね〜🤔

こけらぶきと彫刻が素晴らしい😲🙏
信之・信弘公霊所の彫刻は東照宮を彫った「左甚五郎作」と言われています。

所々に六文銭が隠れています🙂

ガイドさんについて行きます🚶♂🙏

初代真田信之公のお墓になります🙏🙏
信之は改名前は「信幸」でした。徳川への忠誠心を表す為に「信之」へ改名したのでした🙏

真田信綱・幸隆・昌幸公の供養碑です。
なぜ、江戸時代に徳川の嫌った真田家の墓が立てらてたのか?それは…

真田幸貫(さなだゆきつら)公が真田家の養子になり、当主となったからです🙂江戸時代後期松代藩の第8代藩主になったからです。幸貫公は徳川吉宗公の曾孫にあたります。流石に松平(徳川)家の意見には逆らえなかったのでしょう。

真田幸村・大助父子の供養碑🙂🙏
真田信綱・幸隆・昌幸公と同じ理由で建てらてました🙏

歴代の真田家当主の墓が並びます。
真田は戦国の世でたくさんの「運」が重なり家名を残せた強運の持ち主なのですね😲😲

四代真田信弘公御霊屋の屋根の家紋。
霊所内から見ると六文銭が並びます😲

横から見ると入口の中心がズレています。これは昔、医者や薬屋の門にもちいられたらしく、病気にならない「おまじない」の為だそうです🙂

御朱印です🙏🙏
曹洞宗の寺院です。本尊は、阿弥陀如来です。
松代藩真田家の菩提寺です。


しゃちほこは、松代城にあったものを移しました。
六銭紋の家紋があります。

松代藩家老 恩田民清の長男。1735年家督を相続。1746年に家老となります。



長野出張の仕事の合間に参拝しました。

松代藩主真田家の菩提寺です。真田信幸公の御霊廟は修復工事のためしばらく拝観できないようです。(幸村びいきなので、信之公ではなく信幸公と書かせていただきます。)

本堂屋根の上の鯱は、松代城から移したそうです。

本堂の裏手に棟続きで開山堂があります。
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