やさかじんじゃ
弥栄神社長野県 善光寺下駅
午前10時〜午後4時
【善光寺七社巡り(関連社)】
弥栄神社(やさか~)は、長野県長野市上西之門町にある神社。祭神は須佐之男命。
社伝によると、鎌倉時代初期の1196年、源頼朝が信濃国の視察の際に疫病除けのため京都・八坂神社を勧請したのが始まり。江戸時代中期の1774年、善光寺大勧進住職から社地を寄進され、現在でも善光寺との関連が深い。当社の例祭は京都の祇園祭と同様に屋台巡行が最大の行事で、戦前までは京都の八坂神社、広島の厳島神社と並び「日本三大祇園祭」に数えられていた。昭和戦後に衰退し途絶えたが、2012年に「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行」として復活した。
当社は、長野線・善光寺下駅の西北西800mの善光寺門前町の中にある。当社と縁が深い大勧進までは数十mの位置にある。境内自体は率直かなり小さい。このため、本社社殿も小さくコンパクト。建物形式の境内社が1社あって、これで敷地は目一杯になっている。現在では小さな神社でも、長野市の有名なお祭り「祇園祭」を仕切っていると思うと、歴史を感じ面白い。機会があればぜひ「祇園祭」自体も楽しんでみたい。
今回は、当社が善光寺七社のうちの5社(湯福神社、賀茂神社、妻科神社、柳原神社、木留神社)を兼務しており、各社の御朱印を拝受できるため参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分帯地以外に特に参拝者はいなかった。
境内西端入口全景。南北に長い小さな境内。
入って左側(北側)に、本社<弥榮神社>の拝殿。
入って右側(南側)に、境内社<天神社>の社殿。
入って突き当りに<金山彦大神>の石碑。
<拝殿>全景。拝殿というよりは、神楽殿のような形。たくさんの赤提燈が華やかさを添えている。
拝殿後ろの<本殿>。真っ白で、蔵のような形が面白い。
本殿右側の石碑。字が読めない...(^_^;)
令和元年6月、長野市上西之門町の弥栄神社⛩️
善光寺大勧進の南側ですが、仲見世通りから2本西側の通り沿いで観光客もおらず。
建久7年(1196)、源頼朝が京都八坂神社を勧請と伝わります。
戦前までの祭礼は、京都八坂神社や広島厳島神社と並ぶ三大祇園祭と呼ばれる大祭。戦後に規模を縮小するも、平成24年(2012)から「ながの祇園祭」として、毎年屋台巡行を行っているそうです🏮
こちらで柳原、妻科、加茂、湯福と併せて五社の御朱印をいただこうと思っていたのですが・・。
自宅はご不在、電話してみたら「今日は戻れない」とのことでした😵
いつか再チャレンジしてみたいけど、長野は遠いよなぁ💨
名称 | 弥栄神社 |
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読み方 | やさかじんじゃ |
参拝時間 | 午前10時〜午後4時 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 026-232-6307 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 須佐之男命 |
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創建時代 | 1196年(建久7年) |
創始者 | 伝 源頼朝 |
本殿 | 切妻造・瓦葺き・漆喰壁 |
体験 | 御朱印祭り札所・七福神巡り |
概要 | 弥栄神社(やさかじんじゃ)は、長野県長野市上西之門町にある神社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 1196年(建久7年) - 源頼朝により創建と伝えられる。 1774年(安永3年) - 善光寺大勧進住職から社地を寄進される。 1965年(昭和40年)〜1967年(昭和42年) - 松代群発地震が発生し、御祭礼の屋台巡行を自粛する。以降、屋台巡行が毎年は行われなくなる。 2012年(平成24年) - 御祭礼屋台巡行が、「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行」として復活し、以降毎年開催される。 |
アクセス | 交通[編集] JR・長野電鉄長野駅からアルピコ交通(川中島バス)11・16・17系統に乗車、「善光寺西」下車 長野電鉄善光寺下駅下車 |
引用元情報 | 「弥栄神社 (長野市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BC%A5%E6%A0%84%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E9%95%B7%E9%87%8E%E5%B8%82%29&oldid=100520264 |
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