ぜんこうじだいかんじん|天台宗
善光寺大勧進のお参りの記録一覧(2ページ目)
善光寺本堂参拝と境内見学を一通り終えたので、次は本堂に近い方の天台宗の中心地 大勧進を拝むことにしました。
ちょうど秩父三十四ヶ所の御朱印帳が5ページ余ってて、善光寺本堂と大勧進四種類でピッタリだったので、本来の三十四ヶ所の結願という目的にも合致するのでこれに書いてもらうことに。
しか~し! ご覧のように書いてくれた坊さんが思いっきり印を間違えてくれやがりまして(^ω^#)
やっぱり俺が巡礼系集印やると最後に何かしらアヤが付くんだなw
大勧進の善光寺印
不動堂・・・なんですが、書いてくれた坊さんが「ゴメン、間違って地蔵堂の印押しちゃった♪テヘペロ」
・・・なん・・・だと(^^#)
まぁ人間誰しも間違いはあるし、押しちゃったもんは仕方ないので暴れたり抗議したりせず「あぁ・・・まぁいいですよ( ´・ω・`)」と大人の対応してきましたが(^^;
一応、お詫びに書き置きで不動堂の御朱印もくれたのですが重ね貼りするかちょっと悩み中
多少透けちゃうのと、これだけ書き置きだとやっぱ少し違和感があるので
地蔵堂
御詠歌
ちょうど残数がピッタリだったので、秩父三十四ヶ所の結願として大勧進の御朱印は秩父用御朱印帳に書いてもらいました
「姉ちゃんが笑ってる」
めんまちゃんもきっとこれで成仏してキレイなお花に生まれ変われたでしょう(ノ∀`)
・・・それだけにやっぱ不動堂にアヤ付けられたのがなんか納得いかねぇ(^^;
本堂に近い北側の入り口から大勧進に入りました
大勧進護摩堂
御朱印授与所はここでした
水子観音かな
延命地蔵堂
この延命地蔵尊が御朱印対象になってる福徳地蔵尊ってことで良いのかな?('_'?)
萬善堂
これが大勧進の本堂のようです
萬善堂にあったおびんずる
凄まじい数の数珠!!( ; ロ)゚ ゚
南側の出口は蓮池に掛かる橋
この橋をバックに記念写真撮ってる七五三の親子連れとカメラマンがいて、これが長くてなかなか橋が渡れなかった(^^;
もう構わず侵入して写り込んでやっちゃおうかと(そこまで人間腐ってませんw)
見事な蓮コラ
人によっちゃ閲覧注意ですなw
橋を渡ったところに警戒心の薄い鳩が二羽
善光寺天台宗寺院25カ院の本坊です。特定の宗派に属さない善光寺は天台宗と浄土宗の信仰に守られているそうです。その一つの本坊に立ち寄りました😊
大門
不動尊、愛染明王、元三代師を祀る護摩堂
本堂の萬善堂
地蔵堂
水子観音さま
直書きはこの4種
放生池から見る善光寺山門
放生池と紫雲閣
御朱印を頂きました。
今回
前回
今回“ふ”。
前回“不”?。
書き置きですけど、形が可愛いかったので頂きました。
直書きで、もう1枚あったのですが“角大師”なんで遠慮しました。
Wikipediaより画像拝借。
佐野厄除大師で“厄払い”した年に車を廃車する事故を起こしてから“角大師”は自分に合って無いと思っています。地元の人の話では他人の厄を貰うから厄除大師には行かない方が良い?と言われました(当時は無宗派でした)。“キツネ”“赤い鳥居”“唐風の赤い建物”は、個人的に苦手です。
話題作です。
【平成4年 善光寺前立本尊御開帳(6/29まで)】(※)
【信濃國 古刹巡り】
善光寺大勧進(ぜんこうじ・だいかんじん)は、長野県長野市元善町の善光寺境内にある天台宗の大本山の寺院。善光寺山内25ヶ院の本坊。現在、大勧進は浄土宗の大本願とともに善光寺の運営にあたり、住職は「貫主(かんす)」と呼ばれ、大本願の住職の「善光寺上人」とともに善光寺の住職を務めている。
戦国時代に、当地・善光寺平において武田信玄と上杉謙信が川中島の戦いを繰り広げたため、当地は非常に荒廃した。一方、善光寺如来は武田信玄により甲斐善光寺に遷され、武田氏滅亡後、織田氏、徳川氏、豊臣氏の手に渡り転々としたが、1598年に豊臣秀吉により善光寺に戻された。この時、本尊不在の寺地を守ったのが大勧進の僧であり、善光寺如来に付き添ってきたのが大本願の尼僧とされる。
大勧進には、川中島の戦いで争った武田信玄と上杉謙信の位牌が収められている。また、7年に一度御開帳される善光寺の前立本尊は、普段は大勧進の御宝庫に安置されている。
大勧進は、善光寺境内の南西部、山門と駒返り橋の間の参道の西側にある。
(※)善光寺の本尊「一光三尊阿弥陀如来」は、一つの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、善光寺独特の姿をしている。白雉5年(654年)以来の絶対秘仏であり、鎌倉時代に本尊の身代りとして「前立本尊」が造られた。普段は善光寺大勧進の御宝庫に安置されているが、七年に一度の御開帳の時だけ大勧進の御宝庫から本堂に遷され拝観できる。
前立本尊中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸に変わり、白い「善の綱」として本堂前の回向柱に結ばれる。回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じとされ、ご縁が生まれ功徳を受けられるとされている。
本堂に向かい参道を進むと、山門の手前左側に<大勧進>への入口がある。
御開帳の期間中は、大勧進の出店がたくさん出ていて、入口が分かりにくいかも。(^_^;)
大勧進に向かうには、放生池に架かる橋を渡る。
橋の左側(南側)の眺め。突き出している建物は、客殿の<紫雲閣>。
放生池は江戸時代の天明大飢饉(1783年~1787年)の際に、善光寺蔵米を放出して窮民を救済した第80世・等順大僧正の恩に報いるために民衆が築造したもの。2000年前の種子を発芽させた古代ハスが咲く。
橋の右側(北側)から振り返ると、国重文<山門>と国宝<本堂>が1つの画角に収まる絶好の眺め。(o^―^o)
大門に掛かる「大勧進」の扁額。中国・清の閔鶚元氏の筆。
左右の表札には「善光寺」、「大本山 本坊 大勧進」とある。
大勧進入口の<大門>。1789年の建立。10万石の格式の門とのこと。
大門をくぐって左側(南側)にある<紫雲閣>の入口。2006年竣工の客殿。
紫雲閣の右手に見える、東向きに建つ<寺務所>。宝物館への入口を兼ねる。
寺務所の右隣にある<萬善堂>。大勧進の本堂で、十一間四面の御堂。
<萬善堂>の正面。内部正面に本尊善光寺如来、左に永代過去帳、右に開山本田善光、弥生、善佐を安置。
萬善堂の前にある<延命地蔵尊>。
萬善堂の右隣にある<位牌堂>。その前に特設の<御朱印所>が設置されている。
御朱印は10種類あるが、基本は御朱印帳に書き入れてもらえる。ただし待ち時間は長く、自分の場合、1時間と言われた。
萬善堂と位牌堂の間の前にある<水子観音像>。
位牌堂の前に建つ<地蔵堂(地蔵八角円堂)>。
位牌堂の右隣、敷地北端にあって東向きに建っている<護摩堂>。こちらにも回向柱が立っている。下陣の「厄除不動尊」の扁額は東郷元師の筆。
<護摩堂>正面。智証大師作と伝わる不動尊を中心に愛染明王、元三大師の尊像を安置。あまり有名ではないが「日本三代不動」の1つとしている。
敷地北端、護摩堂前にある<聖観音像>と<天満宮>。
護摩堂前には<北門>があって、ここからも出入りができる。
北門前の出店に面白いものが売っていた。
ペヤングやきそば「善光寺御開帳記念・大勧進限定」蕎麦風。八幡屋礒五郎・七味唐辛子入り。
大門前だと4個1,000円、1ケース4,500円。手荷物になるので迷ってパスしたが、北門前だと1個250円で売っていたので即決。帰京後、期待をせずに食べてみたら、これがビックリ、かなり美味。定番化しても良いレベル。(^▽^)/
仏教の教えを
民衆にわかりやすく伝え
世俗の悩み解消に寄与する
大勧進の寺名は、人々に仏法を説き作善をなすように勧誘策進する「勧進」を意味する
大勧進は、開山、本田善光公以来、代々善光寺如来さまにお奉えし、民衆の教化と寺院の維持管理にあたっている
大勧進は天台宗大本山で善光寺25ヶ院の本坊であり、大勧進住職は善光寺の住職も兼ねている😌
山門から見た大勧進
行かなっきゃ‼️って思った😅
帰りに たまたま 住職様が通られた🙏
これもかなりラッキー😍
今日は母の三回忌を大勧進でおこなって頂きました。早いものでもう2年もたったのだなぁと思います。
2022,5,22 御詠歌
2021,5,23 元三大師
2021,5,23 善光寺如来
善光寺ご開帳のお参りに来て、大勧進でお参り。
不動明王とご縁を結ぶ結縁柱が建立されていました。
善光寺大勧進
善光寺大勧進
善光寺如来御朱印
不動尊御朱印
御詠歌
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