たけいじんじゃ
武井神社へのアクセス
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駐車場に関する投稿
【善光寺七社巡り(3/7)】
武井神社(たけい~)は、長野県長野市長野東町にある神社。旧社格は村社。主祭神は建御名方命、相殿神は前八坂刀売命、彦神別神。善光寺七社の1社で、善光寺三鎮守の1社。諏訪大社と同じ建御名方神を祀り、同じ祭神を祀る周辺の4社(当社、湯福神社、妻科神社、健御名方富命彦神別神社(城山県社水内大社))の持ち回りで寅年、申年に御柱祭を行っている。善光寺表参道の東側を氏子地域とする(善光寺表参道の西側は湯福神社が氏子地域としている)。
創建は不詳。社伝によると、平安時代初期の創建。鎌倉時代に源頼朝が善光寺三鎮守の1社と定めた。古くは武井明神、諏訪明神と呼ばれたが江戸時代後期の1807年に現社名に改称。社名の由来は諏訪の有力豪族である神官・武井祝(ほうり)一族が奉斎したのが由来という説がある。1847年の善光寺地震により社殿焼失、1860年に社殿再建。明治に入り、近代社格制度のもと村社に列した。現在の社殿は2009年に平成22年御柱大祭記念事業として建替え。
当社は、長野線・善光寺下駅の南西400mの市街地、国道406号線沿いの北側、平地にある。樹木が少ない境内は広々としていて、東半分は神社として使われているが、西半分は長野市街中心地ということもあり月極駐車場になっている。大きな社殿は近年建て直したようできれい。境内社などは多くはない。古社の趣はないが、由緒ある古社も兼務する長野市中心部の中核神社。
今回は、善光寺七社の1社、善光寺三鎮守の1社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外に特に参拝者は見掛けなかった。
※当社は、美和神社(式内社)、健御名方富命彦神別神社(城山県社水内大社)(式内論社(名神大))を兼務しているため、各社の御朱印は当社で拝受できる。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。
朱色ではなく深紅の色が特徴的な両部鳥居。
参道が社殿までまっすぐ伸びる。
参道右側の<手水舎>。
参道右側、手水舎の左隣にある境内社。扁額には「金刀比羅社、三峰社、天神社」とある。
参道右側、境内社の左隣にある石製小社。石柱に何か書いてあるが読めない...(^_^;)
参道両側に立つ<狛犬>。新しそう。
<拝殿>全景。2009年再建。横に長く堂々たるサイズ。
拝殿前、参道左側に建つ<授与所>。御朱印はこちら。
<拝殿>正面。
<拝殿>内部。
拝殿後ろの<本殿>。幣殿、本殿ともに、拝殿と比べるとかなり小さい。
拝殿の右側に建つ<氏子会館>。
写真中央の一枚岩は<雷電の力石>。江戸期まで近隣の鐘鋳川に<武井橋>という名で架けられていたが、江戸から善光寺に相撲御巡業に来ていた大関・雷電が神社まで運んだと伝わる。
境内西側にある建物。
境内西側にある<松尾社>(右)と<猿田彦大神>(左)。(^▽^)/
武井神社へ詣りました。大きな神社です。
駐車場はほとんどのスペースが月極契約の駐車場になっていて、参拝者用は3台分。
「次の利用の方の為にあけてあげてね」と貼紙あります。譲り合いの心ですね。
御参りして社務所のインターホンを押すと、神職の方が別の建物からお出になって対応してくださいました。
御朱印が書置きで3社分あり、武井神社と健御名方富命彦神別神社と美和神社。
健御名方富命彦神別神社へはこの後参拝する予定です、と申し上げると、「じゃあこれもね」と、参拝前なのに頂いてしまいました。
神社の由緒や地域の事などをとても丁寧にお話ししてくださり、とても親切な神職さんでした。
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