つのじんじゃ
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都農神社は、格式の高い「日向国一之宮(ひゅうがのくにいちのみや)」に位置付けられた神社。パワースポットとして名高く、鎮守の森に囲まれた広い境内には神秘的で厳かな雰囲気が漂っています。創建は神武天皇が初代天皇としてご即位される6年前。東遷の折、国土平安・海上平穏・武運長久を祈念してこの地に祭神を祀ったと伝えられています。祭神の大己貴命(おおなむちのみこと・別名:大国主命)は、病気平癒、縁結び、子孫繁栄、商売繫盛の神。境内には願いを込めて納めると成就する「神の石神事」や、撫でるとありとあらゆる福をもたらす「撫で大国」、無病息災のご利益があるとされる「撫でうさぎ」など、ありがたいスポットがいっぱい!
都農神社は日向国第一の大社でしたが、島津・大友の争乱で焼失。その後、1692年に秋月藩主・秋月種政が再興したと伝わります。現在の社殿は旧社殿の老朽化に伴い、2007年に建てられたものです。
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◆創建の由来
創建されたのは御即位6年前の神武天皇が宮崎の宮を発し東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し御祭神を鎮祭された事と伝えられる。
旧記によれば、日向国の第一の大社であったが、天正年間の島津・大友の争乱の際、大友氏の兵火により社殿・宝物・古文書等全てを焼失したものの、御神体は尾鈴山麓に避難され難を逃れた。争乱後は長年社殿の再興も無く小さな祠があるのみであった。元禄5年に秋月藩主 秋月種政が再興し、安政6年には篤志家の社殿の寄進があった。その後、社殿の老朽化に伴い平成14年に「御造営奉賛会」が設立され、平成19年7月7日に現在の社殿が竣成されたのである。
◆御 神 徳
大己貴命 ( 大国主命 ) は多くの妃を娶り、その妃等との間に多くの御子をもうけました。その謂れから縁結びの神とも子孫繁栄(子授け)の神とも云われる様になりました。また医療の法を定め多くの人々を助けた事により、医療(病気平癒)の神とも云われ また少彦名命と共に力を合わせて多くの人々と交わり、次々と国造りをされた事により、事業開拓(商売繁盛)の神と云われる様になりました。

【日向國 式内社巡り】
都農神社(つの~)は、宮崎県児湯郡都農町大字川北にある神社。式内社で、日向國一之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は大己貴命。明治以前は「宮崎社/宮崎宮」とも呼ばれた。
社伝によると、神武天皇即位の6年前(紀元前666年)に、天皇の東征に際し鎮祭したことに始まる。また神功皇后が三韓征伐に際し舟の守護神として「吐乃(つの)大明神」を勧請し、皇后が凱旋後に社殿を造営したと伝わる。『続日本後紀』には平安時代の837年に官社に列し、843年に神階奉授の記載がある。また『日本三代実録』には858年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 児湯郡 都農神社 小」に比定されている。その後、日向國一之宮として、在地領主や庶民から崇敬された。戦国時代には伊藤義祐により社殿が造替されているが、1578年の大友宗麟と島津義久の争乱の際に兵火に罹り社殿、社宝、古文書を焼失、そののち衰退した。江戸時代に入り1692年に高鍋藩主・秋月種政により再興されて以降、歴代高鍋藩主から篤く崇敬された。明治に入り、近代社格制度のもと国幣小社に列格した。
当社は、JR日豊本線・都農駅の北西1.8kmの平地、都農川の北岸にある。車のアクセスが良く、幹線道路である国道10号線のすぐ東側にある。豊かな緑に囲まれた境内は広々としていて、およそ200m四方の中にある。境内南端から社殿までまっすぐ伸びる樹木に覆われた参道は幅が広く一直線で、大社らしい荘厳さがある。神域入口には神門があり、神域には大きな社殿の他、大きな日本庭園があるのが特徴。参拝時は正月だったので、巨大な授与所が設営されていた。神域の外にも大きな池があるなど、散策しても気持ち良い空間が広がっている。
今回は、日向國の式内社、日向國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、まだ1月初旬ということで、初詣の人を含め多くの参拝者が訪れていた。
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