きりしまみねじんじゃ
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楽しみ方霧島岑神社のお参りの記録一覧

参拝記念⛩️✨️
霧島岑神社
霧島六社権現①、②
宮崎県小林市に鎮座する霧島岑神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
霧島六社権現の1社(夷守神社が合祀されているので2社)です。
参道入口から仁王像に迎えられ神仏習合の名残を色濃く感じます。
本来は霧島山そのものを御神体とする山岳信仰でしたが、現在では天孫降臨神話に登場する神々が祀られています。
そういえば…
狛犬さんいなかったような(・_・;)

霧島岑神社 御朱印

夷守神社 御朱印

鳥居

振り返って…
車で入ってくる時は、車で鳥居を潜るみたいです💦
看板に一方通行と書かれており…
舗装路から来たため逆走していたみたいです(^_^;)
初見殺しです!
お気をつけください🙏


仁王像




手水舎



参道




絵馬掛け

手水舎




風鈴


由緒

拝殿


拝殿内
龍の柱が霧島神社の特徴??


系図

九州はこれを見てるだけで楽しいです♪


本殿


山岳信仰??




日向国諸県弁の式内社「霧島神社」の論社であり、霧島山を御神体とし修験道の行場として崇敬された「霧島六社権現」の一社です。享保元年の新燃岳の噴火によって倒壊し、その後は霧島連峰の夷守岳の中腹に再建します。明治に入って霧島神社の論争によって夷守神社を霧島岑神社に合祀したあと、夷守神社の跡地へ遷座して現在に至ります。

《一の鳥居》
東霧島神社、霧島東神社と共通して濃い朱色の両部鳥居です。

《仁王像》
霧島六社にはこうした仁王像が両側にいます。

《手水舎》
水は流れていました。洗ひつるここも…(略)

《イチイガシ》
この木の前で子供の病気平癒を祈願したとされています。

《表参道》

《二の鳥居》

《門の神》
こちらも随身門ではなく門の神様が両側にいます。

《絵馬掛け》

《拝殿》🙏
霧島岑神社は霧島東神社と東霧島神社と違って伊弉諾命さまが御祭神に入っておらず、邇邇芸尊、彦火々出見尊、鸕鷀草葺不合尊の三世代の夫婦が祀られています。

《本殿》
流造で本殿と接続しています。

《四社の幟》
👁チェックポイント‼️
なんか霧島岑神社なのに江田神社の幟があるなぁと思ったら、霧島岑神社、江田神社、都農神社、都萬神社の四社の幟があります。この四社は日向国の式内社であり、それぞれの神社に四社巡拝の栞が置かれています。霧島神社の論社の中で中央権現社と呼ばれていたことが式内社「霧島神社」としての有力論社として見られているのかもしれません。

《授与所》
無人だった…のか?テレビの音は聞こえるし雪駄はあるし…奥に神主さんはいたのかもしれません。

《末社①》

《末社②》

《由緒書きと系図》
こう見ると邇邇芸尊さまの代で海の神の娘と、彦火々出見尊さまの代で海の神の娘と結婚し、空海山の神と繋がりを持ったことが示唆されています。

霧島六社権現のひとつ、霧島岑神社にお参りしました。
参道入口の仁王様に迎えられ、緩やかに続く緑のトンネル参道を進み始めると清々しい気持ちになってきました😌
花手水もすごく素敵です。
社殿内の「白木の雲龍巻柱」素晴らしいです。風鈴の鳴る音を聞きながら、静かにお参りさせて頂きました。
初めての参拝なので、車のナビを頼りに進むと神社には着きませんでした💦
民家を抜け、畑と竹藪へ細い道路の三叉路で「どうしよう」とかなり不安になりました😓
地図で調べると県道沿いに大鳥居があり、わかりやすい場所でした😅
無事にたどり着けたのは、神様のお導きでした😊
ありがとうございました😌



なんとかたどり着きました💦







根元は祠になっています。




社務所横の手水舎



白木の雲龍巻柱


繭神社



仁王様の横の祠。
中には石が祀られていました。

霧島は、噴火を繰り返す自然の厳しさの象徴として山岳信仰の場として日本有数の霊場であり、、霧島で修行をする修験者たちの拠点となったところ、霧島岑神社は、性空上人が開いた(整備した)霧島六所権現のひとつです。
当時 霧島岑神社は高千穂峰中腹(高千穂峰-御鉢の鞍部にある、せたお(脊門丘・瀬多尾等の文字をあてる。)に座し霧島中央権現宮とも呼ばれていた。
鳥羽天皇の天永3年2月3日、「御鉢」が噴火、社寺共に焼失。その後、高千穂峰-矢岳間等(新瀬戸尾、岡原、夷守岳中腹)など、霧島噴火に伴うたび重なる焼失で、各所に遷座、1873年(明治6年)に現在の場所に遷されたもの。
1874年(明治7年)に同じく六所権現の一つ「夷守(ひなもり)神社」と合祀、現在の霧島岑神社となっている。
島津義弘が飯野城に居た頃は、特に当社を敬仰、度々参拝したという。
当時は霧島中央権現の名が高く参拝の徒が四方から雲集したが夷守岳へ遷宮の後漸く少くなったという。
出展元:現地案内板より。

































【日向國 式内社巡り】
霧島岑神社(きりしまみね~)は、宮崎県小林市細野にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は瓊々杵命、木花咲耶姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命(皇祖・日向三代とその配偶神)。旧称は「霧島山中央六所権現」で、霧島六所権現の1社(2/6)。明治時代に別の霧島六所権現である夷守神社(旧称「夷守六所権現」)を合祀している(3/6)。
創建は不詳。国史の初見は『続日本後紀』837年条に「日向國諸県郡霧島岑神」が官社に預かり、神階奉授の記載がある。『日本三代実録』858年条でも神階奉授の記載がある。また927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 諸県郡 霧島神社 小」の論社となっており、他の論社として東霧島神社(宮崎県都城市)、霧島東神社(宮崎県西諸県郡高原町)、霧島神宮(鹿児島県霧島市)がある。社伝によると、天慶・天暦年間(10世紀中頃)、性空上人が当社に参籠の折、山麓四方に夷守神社他4社を創建し、当社を合わせて霧島六所権現と称したという。1112年の韓国岳噴火、1167年の大幡山噴火、1234年の火常峰(御鉢)噴火、1716年の新燃岳噴火と続き、その度に遷座と社殿再建を繰り返し、1729年に夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座した。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、夷守神社を合祀して、夷守神社跡地に遷座して現在に至っている。
当社は、JRえびの高原線・広原駅の北西2.5kmの農耕地帯の外れの平地の小高い場所にある。県道104号線から少し逸れると森の入口が境内入口で、緩やかな傾斜のある樹木のトンネルを抜けると、空がぽっかり空いた社殿周りに辿り着く。社殿周りには数社の境内社と社務所のみがある。由緒を読む限り、霧島六所権現の中心的な神社だが、境内の造りからすると最も普通の神社(他がそれぞれかなり特徴のある神社とも言える)。
今回は、日向國の式内論社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外にも何組か、家族連れなどの参拝者が訪れていた。

境内東方入口の<一の鳥居>と<社号標>。一の鳥居はやや縦長のバランスが面白い。

境内東端入口全景。深い森の中に穴が開いている感じ。

参道入口アップ。両側に<石造仁王像>が立っているのが特徴的。

左側の<阿形仁王像>。石で作るのは大変かも。

右側の<吽形仁王像>。

参道入ってすぐ左側にある<手水舎>。

参道は石の登り坂。緩やかに、でも確実に登って行く。

やがて森の終わりに<二の鳥居>。

参道左側の境内社。左右にある門の守護神。こちらは<豊磐間戸神>。

参道右側の境内社。こちらは<櫛磐間戸神>。左右とも、内部には<随神像>と思われる人形が飾られている。

空が開けた明るい場所に出てすぐ右側にある二つ目の<手水舎>。

手水盤のこの苔の生し方は見事~♪ (o^―^o)

<拝殿>全景。向拝の左側に比べ右側が大きいアシンメトリーな造形は珍しい。

<拝殿>内部。御輿も太鼓も飾られている。とてもきれいにされている。

拝殿から振り返って境内全景。参道の暗さと境内周りの明るさのコントラストが非常に大きい。

拝殿後ろの<本殿>は瑞垣で囲われている。その手前には境内社<豊受大神
>。

拝殿の右側からも同じ造り。瑞垣手前には同様に境内社<大山祇大神>がある。

幣殿の右側にある境内社。社の内部には<天照大御神>の神符が置いてある。

拝殿に向かって右後方にある<社務所>。御朱印はこちら。

拝殿に向かって左後方にある<風鈴オブジェ>。小林市のプロジェクトみたい。

とってもカラフルな風鈴がかなりキレイ~♪

二の鳥居の左手、少し小高いところにある<繭神社>の鳥居。

<繭神社>の社殿。当地付近でも養蚕業が栄えていたのかな?(。´・ω・)?

繭神社の左側にある境内社。片側だけ壁がある不思議な建物。HPによると<馬頭神社>で、馬頭観音を祀っている。

境内社の<社殿>。扁額や表札はない。

最後に<社殿>全景。歴史的には霧島六所権現の中で最も力があったみたい。(^▽^)/

参道の入り口に仁王像があり、社殿の柱に彫刻された龍の姿は一見の価値有ります❗
2020年7月~10月キキタビ(記紀旅)御朱印帳と御朱印が有ります。コロナウイルスの影響により期間等変更の可能性があるそうです。

帰り道から取った看板と入り口
入り口出口で道が違います。

参道入り口の仁王像

社殿
車で社殿近くまで来れます

龍の彫刻入りの御朱印帳 1600円

小林のパンフレット、キキタビのパンフレット、御朱印帳
日向国式内社とされる神社で霧島六権現の一社。もう一社の夷守神社はこちらに合祀。
参道の木々が見事。
駐車場は広いです。ちょうど同じくらいに到着した車が岐阜ナンバーでびっくりでした。

















境内の手水舎

参道の手水舎



平安時代の霧島岑神社

江戸時代の霧島岑神社

(2017年<平成29年>)1月に参拝した時のものです。
宮崎県小林市にある霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)へお参りしました。
この場所は夷守神社の跡地で、霧島岑神社が1873年(明治6年)に夷守神社を合祀したことにより霧島岑神社が残ったため、夷守神社は現存しません。
霧島六社権現のひとつに数えられていて、霧島信仰の中心ともなる神社です。
御祭神は次の通りです。
・瓊々杵命(ににぎのみこと)♥木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
・彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)♥豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・鸕鷀草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)♥玉依姫命(たまよりひめのみこと)
三組の夫婦神、合計六柱の神様が祀られています。
御朱印を頂きましたが、数年前のものですので、現在は文言などの内容が少し変わっているみたいです。
御朱印帳も新しいデザインのものが販売されている模様です。

天孫御降臨の本宮を知らせる看板

参道入り口では仁王像がお出迎えをしています
この像は参道の左側にある像です

右側にある像がこちらになります

手水舎です
2か所あるうちの本殿に近い側のものです

本殿です
左側には暗くて見えませんが摂社の豊受神社があります
御祭神:豊受大神(とようけのおおかみ)

本殿右側にある摂社の大山祇神社です
御祭神:大山祇命(おおやまつみのみこと)・髪長姫命(かみながひめのみこと)
祀られているのは木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の父君と姉君の二柱です

末社の繭神社です
御祭神:大宣都姫命(おおげつひめのみこと)
五穀を生み出された神様になります

参道左側に位置する摂社の豊磐窓神社(とよいわまどじんじゃ)です
御祭神:豊磐窓命(とよいわまどのみこと)
天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の従者として仕えた神様です
木々の後ろにうっすらと見えているのが馬頭神社(ばとうじんじゃ)です
御祭神:保食神(うけもちのかみ)
穀物を司る神様です

参道右側に位置する摂社は櫛磐窓神社(くしいわまどじんじゃ)です
御祭神:櫛磐窓命(くしいわまどのみこと)
同じく天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の従者として仕えた神様です

霧島岑神社の御朱印です

雛守神社の御朱印です
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