曹洞宗
冷松寺のお参りの記録一覧
所在地:宮城県登米市東和町米谷字大嶺120
山 号:鳳凰山
宗 派:曹洞宗
寺 格:
巡礼本尊:十一面観世音菩薩
創 建:1337年(延元2年)
沿 革:
1 冷松寺の前身
冷松寺は、元、室町幕府管領家斯波氏の先祖、足利家氏の菩提所として延元2(1337)年、その居住地総州大崎の荘(現千葉県佐倉市辺り)に開創され、当寺は天台宗雙元寺と称した。家氏の孫、斯波家兼(奥州大崎氏祖)は、足利尊氏の命を受け奥州探題として文和3(1354)年、奥州に下向、寺もそれに従い黒川郡大崎の地(現黒川郡或いは古川市)に移転したと言う。さらに、大崎氏七代教兼(法名龍谷院殿)の代、康正元(1455)年、上州白井(現群馬県北群馬郡)雙林寺三世曇英慧應和尚を開山に請し、曹洞宗に改宗し、鳳凰山龍谷院と改称したと言う。しかしながら以上の事は伝承に由るもので確かな記録は現存しない。
2 冷松寺と改称
天正18(1590)年、豊臣秀吉の奥州仕置により大崎氏は滅亡するが、大崎氏五代満詮の弟、大崎持家を祖とする一族の高泉氏四代高景(法名冷松院殿 栗原郡高清水に住す)は、一時身を潜めるも、文禄元(1592)年、伊達政宗の家臣(準一家)となり、栗原郡太田村(現築館町)に二十貫文(二百石)を賜ると共に、大崎氏の菩提所を再興し、鳳凰山冷松寺と改称し、高泉氏の菩提所とした。由って冷松寺の開基(中興)を高泉高景、時の六世総芝守統和尚を中興開山としているのである。
尚、昭和49年、築館町にあった高景の墓石を冷松寺裏山の高泉氏廟所に移している。
高泉氏五代定康の代、寛永年中、登米郡黒沼村(現中田町黒沼)への移封と共に冷松寺も移転、さらに高泉氏六代兼康の代、元禄17(1704)年、登米郡米谷村(現東和町米谷)に移封、冷松寺も又同地に移転し、現在に至っている。
移転前は、柴田家菩提所日蓮宗蓮華寺があり、その時代に建てられた墓碑数基が本堂後方に現在も残っている。高泉氏はしばしばの加封により三千石を賜るが、その加封と共に冷松寺も七堂伽藍完備し、常在の雲水(修行)僧三十人を有し、北上河畔一大霊場の観があったと言う。
3 現在の冷松寺
冷松寺の伽藍は、米谷移転以来、修繕を加えつつ維持してきたが、老朽化も進み、遂に二十六世大光得玄和尚の代に至り、住職、檀信徒一大発願して共に力を合わせ、昭和55年本堂落成、続いて平成元年庫裡並びに檀信徒会館の落成に至る。往時の盛大には及ばぬものの、今後の時代の信仰の場、布教の場としての整備がなされたのである。
曹洞宗宮城県宗務所 十四教区より
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