ぜんかじんじゃ
秈荷神社のお参りの記録一覧
金運アップのご利益がある神社です。
墨絵師さんとコラボした限定の見開き御朱印を拝受しました。
金箔・銀箔が使われているそうですよ。
金色で高級感のある御朱印です。
初穂料は1000円。
おそらく数量限定なので、欲しい方はお早めに!
金の見開き御朱印(初穂料1000円)
御朱印は3種類ありました(23/8/5)。お代は手前の賽銭箱に入れます。
清めの御神水(龍神水)。お金を洗って金運アップ!
手水舎に風鈴が飾ってありました
過去の参拝記録です。登米市東和町米谷に鎮座する秈荷神社に参拝して来ました。倉稲魂命、経津主命、武甕槌命です。
写真はNGのところがあるらしいので、駐車場からの景色です
細い山道の上にある神社さん…自然に囲まれた鎮守の森というに相応しい佇。
宮司さん、奥様共に物腰柔らかで感じのいいかたで、色々お話下さいました。
掲載写真は全て許可を頂いております。
御本殿
銭金山大明神社 清めの御神水
三宝荒神社 龍神 秋葉神社
鹿島神社 (鹿島殿)
正月三が日二百名限定登米五社参り授与品の御朱印
廻り方は自由で一日から三日までの間にすべて廻り
朱印を押して頂く…1,000御初穂。
現在入手不可
黒墨の御朱印。元旦最後の一枚。
東和町米谷秈荷山にあり、永仁元年(1293)葛西佐馬尉重直の建立と伝えられ、代々の地頭たちの崇敬するところであった。往時この地方は葛西氏の勢力範囲であり、亀卦川氏系譜によれば、建治2年8月(1276)亀卦川胤氏が葛西清信に従い、奥州に下向し采地五百余町を賜り米谷城を築城し、以来、天正18年(1590)葛西氏没落に至るまで米谷城主となる。建武3年(延元元年1336)奥州勢をひきて長躯上洛し、足利尊氏直義の軍を破った時、葛西軍は数々の戦功をあげましたが、葛西清宗は神楽岡の戦で、新田義貞の身替わりとして戦死し、この戦の後、葛西清宗の家来亀卦川胤明(葛西氏の重臣)が、主君清宗の冥福を祈って伏見稲荷神社に参籠し、帰途に際し守護神として居館(米谷館)の地に社殿を建立し、祭祀して稲荷大明神(銭金大明神・善賀大明神の別名有り)と称する。亀卦川氏没落後も村人の信仰の厚い社として栄えてまいりましたが、伊達政宗の時代(天正年間)に切支丹の蜂起により社殿が焼失(古記録が無いので詳細は不明)となりましたが、宝永2年(1705)領主高泉長門守の再建と伝えられ、秈荷神社として今日に至る。明治39年に鹿島神社と諏訪神社が秈荷神社に合祀されたとき、鹿島神社の社掌が退職し、諏訪神社の社掌髙橋譓之進が秈荷神社の社掌に専任され以来今日まで世襲されている。境内に「うみゆり」の化石があり、その紋様が銭型であるため「銭金石」と称され、秈荷の地名の由来となったと伝えられる。そこから銭金大明神と称され三年五年と続けて参拝することで小金(銭)が貯まるとも伝えられている。また、境内には宝暦5年(1755)米谷住、大肝入亀卦川軍左衛門(俳名・左笠)が秈荷神社境内に芭蕉の句碑を建立。「木の下は汁も膾も桜哉」
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