ちょうごうじんじゃ
鳥合神社のお参りの記録一覧
私の母の実家の近くにある神社ですがお宮があることを知らずにいつも通り過ぎてしまってました。社務所で御朱印を依頼した際、外出されるところだったのに、快く応じて下さりました。
奥様には待っている間にお茶とお菓子をいただきました。
夕方遅くに伺ったのに御朱印を書いていただき本当にありがとうございます。
また近くに行った際は、再度お参りさせていただきます。
宮城県栗原市に鎮座する鳥合神社に参拝致しました、あの日本昔話にも百合若と緑丸の由緒が出ている神社で山に向かって里宮、本宮、奥宮と鎮座してます、度重なる地震の被害で3社とも被害が出てましたが、人々が参拝しやすい里宮を綺麗に整備されたみたいです、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、鳥合山の頂に九本の松が茂っていて鷹の巣が在った、嵯峨天皇の御代、国主文屋綿麿が南の峰で鷹を捕らえて百合若大臣に献上した、百合若大臣自は緑丸と名付けて寵愛した緑丸が主の為めに溺死したが、後人これを哀み祠を建てて祀り、鳥合神社と称しました。後、藤原秀衡が新山権現を併せ祀ったと伝えれられています。(安永書出、名跡志、封内記)。天正18年(1562年)大崎家没落し、慶長10年(1606年)片子沢の鍛冶宮内少輔なる者が社殿を造営しました。(棟札)。※百合若大臣とは、幸若舞曲36番の1つ(戯曲)に出て来る人物で、右大臣きんみつの子、弘仁7年(816年)蒙古の大軍をむかい伐った勇士である。なお百合若の伝説は、北九州・壱岐地方をはじめ各地に伝承されたみたいです、決して大きな神社では有りませんが、神主さんご夫妻とても良い方で待って居る間もお茶やら菓子やら沢山頂き貴重なお話しして下さいました、歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、癒し処、散策、宮城県栗原市観光、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
栗原市栗駒の鳥合神社(ちょうごうじんじゃ)さま。
地元近くにあり前を通り掛かることも多い神社です。
ずっと気になっていたのですが今回、時間を見つけ初めてお詣りいたしました。
曇り模様の天気で涼しくそよぐ風を肌に感じながら参拝いたしました。
お詣りしてから社務所に周りますと閉められておりましたので、失礼ながらインターホンを押させて頂きました。
明るく朗らかな雰囲気の奥様が対応され、御朱印をお願いしたところ、丁度宮司様がこの後の昼から外出される前だったそうで、出掛けた後にならなくて良かったと仰って頂けました。
宮司様に御朱印をお書きいただいている間に、お庭に設けられたテーブルにて美味しい冷茶とお菓子を振る舞って頂け、奥様と楽しくお話しさせて頂きました。
そうしていると雲間から太陽の日差しが差し込んできて明るくなり、優しい宮司様と奥様の人柄を示すかのように暖かさを感じました。
御二人ともお出かけ前の忙しい時に関わらず丁寧にご対応頂きありがとうございました。
宮司様は櫻田山神社も兼任されてるそうですので、櫻田山神社にお詣りされたなら、是非こちらの鳥合神社にもお詣りされることをお勧めします。
嵯峨天皇の御代、由理若大臣自愛の鷹の緑丸が主の為めに溺死したが、後人これを哀み祠を建てて祀り、鳥合神社と称しました。後、藤原秀衡が新山権現を併せ祀ったと伝えれられています。(安永書出、名跡志、封内記)。天正18年(1562年)大崎家没落し、慶長10年(1606年)片子沢の鍛冶宮内少輔なる者が社殿を造営しました。(棟札)。※由理若大臣とは、幸若舞曲36番の1つ(戯曲)に出て来る人物で、右大臣きんみつの子、弘仁7年(816年)蒙古の大軍をむかい伐った勇士である。なお百合若の伝説は、北九州・壱岐地方をはじめ各地に伝承されている。※由理若大臣に鷹の緑丸を献上したと伝えられている。
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