ぎおんやさかじんじゃ
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楽しみ方祇園八坂神社のお参りの記録一覧

古川の住宅街に鎮座する神社
御朱印を直書きでいただきました
初穂料はお気持ち(私は500円をお納めしました)
境内を入って左手にあるご自宅にていただけます
駐車場は鳥居前です

御朱印(”お気持ちで”と言われたので500円をお納めしました)





社務所

祇園八坂神社の創建は平安時代初期の延暦23年(804)、坂上田村麻呂が戦勝祈願として勧請したとの伝承があります。
案内板によると「平安時代天慶3年(940)藤原秀郷が奥州鎮定のため将兵の武運長久を祈願して京都の祗園社の分霊を勧請したものである 祭神(素戔嗚尊様、大年神様、稲田姫命様、八王子神様、大国主神様、事代主神様、奥津彦神様、奥津姫様

祇園八坂神社 社務所にて直書き御朱印頂戴いたしました

祇園八坂神社 御朱印と一緒に頂いた(祇園八坂神社)由緒、御祭神 中御座(素戔嗚尊様)右御座(櫛稲田姫命様)左御座(八柱御子神様)の内容が
書かれてます。

祇園八坂神社 入口(右側祇園八坂神社の社号標と鳥居⛩️)の様子です

祇園八坂神社 入口にある(祇園八坂神社)に関する内容が書かれてます

祇園八坂神社 ニノ鳥居⛩️の様子です

祇園八坂神社 境内にある(手水舎)の様子です

祇園八坂神社 入口に鎮座する(ハット、覆面をかぶった狛犬さんの様子です

祇園八坂神社 入口に鎮座する(ハット、覆面をかぶった狛犬さんの様子です

祇園八坂神社 境内にある(釣鐘)の様子です

祇園八坂神社 境内にある(舞殿)推定の様子です

祇園八坂神社 境内に鎮座する(阿形の狛犬さんの様子です(桜が背中あたりにあり、又違った凛々しい狛犬さんになりました✨

祇園八坂神社 境内に鎮座する(吽形の狛犬さんの様子です

祇園八坂神社 拝殿前左側からの様子です

祇園八坂神社 拝殿前右側からの様子です

祇園八坂神社 拝殿前の様子です

祇園八坂神社 境内奥側からの様子です

祇園八坂神社 境内奥側からの社殿の様子です

祇園八坂神社 境内の様子です(🌸が綺麗に咲いてました

祇園八坂神社 境内にある(力くらべの石)の様子です

祇園八坂神社 境内の様子です

祇園八坂神社 境内にある(鹿島神社、武甕槌神様を祀る)境内社の様子です

祇園八坂神社 境内にある(愛宕神社)境内社の様子です

祇園八坂神社 境内にある(白山神社、大山祇神様、伊弉冉命様、伊弉諾命様を祀る)境内社の様子です

祇園八坂神社 境内にある(観音堂)の境内社の様子です

祇園八坂神社 境内にある(社碑、石碑)の様子です

祇園八坂神社 穴守稲荷神社の⛩️鳥居の様子です

祇園八坂神社 境内にある(穴守稲荷神社)境内社の様子です

祇園八坂神社 境内にある(不動尊社)の境内社の様子です

祇園八坂神社 境内にある(大権現様を祀る)石碑の様子です

祇園八坂神社 境内にある(天神社、菅原道真公様を祀る)境内社の様子です

祇園八坂神社 境内にある(地蔵尊様を祀る)境内社の様子です

祇園八坂神社 境内にある(石碑の群れの様子です

所在地 : 宮城県大崎市古川中島町10-45
祭 神 : 素戔雄命、櫛稲田姫命
御神体 :
社 格 :
創 建 : 804年?(延暦23年?)
本神社の起源については「桓武天皇ノ御宇東夷跋扈王化ニ帰セズ征夷大將軍坂上田村麻呂勅ヲ奉シ征討スルニ当リ素戔雄神ニ平定ヲ祈願セラレシニ戦捷其功ヲ得ラレシニヨリ深ク神徳ノ顕著ナルニ感ジ其凱旋ノ途ニ於テ國家安泰ヲ祈ラントシ該神霊ヲ勧請シ社殿ヲ建立シ崇敬ヲ盡サレタシハ実ニ延暦二十三年六月ナリキ云々」(安永風土記書出)とあり、当地の地名稲葉は京都本社が鎮座する地名から準称したとされる。しかしながら、其の後戦乱屡々起こり社殿悉く兵燹により久しく荒廃したと云うが、朱雀天皇の御宇下野國押領使藤原秀郷公は神人行者三神安秀に命じ武運を祈らせたところ「其神徳ニ感ジ天慶三年六月十四日安秀ヲシテ社殿ヲ建築シ再興セシメ併セテ櫛稲田姫命、大歳神、御歳神、若歳神ヲ合祀勧請セラレ祇園社志太郡總鎮守ト尊称シ三神安秀ヲ当社別当トナサシメ篤ク崇敬」したと云う。古くは「祇園社」或いは「祇園牛頭天王社」と称し大崎地方の総鎮守、日本三祇園之一社として地方民の崇敬をあつめ「祇園さま」と称され親しまれ、殊に県内全域に頒布する正月の御神像(お正月様)は戦前迄は本神社より発行していたが、戦後版元は神社庁に移されて今日に至っている。天文五年六月二十一日古川城(城主古川刑部持慧)没落の際、兵燹のため「結構荘厳ノ社殿什物記録等悉ク煙滅」したが、慶長年間仙台藩祖伊達政宗公偶々中奥御出駕の折、「聞キテ之ヲ憂ヒ假社殿ヲ建立シ幣物ヲ献ジ」、慶長五年横坊法印了尊を福島県信夫郡土舟より迎え入れ別当として奉仕せしめた。この時の迎えの行列は現在「先陣・後陳大名行列」として古川市や大崎地方の慶事の際に催行されている。また、例祭当日には軽卒十人を御神事番として遣わし非常の警固に当たらせ、爾後歴世の藩主供物献納の例を缺くことなく廃藩当時に至る迄其の式礼が行われた。特に十代藩主齋宗公は、御朱印地を寄進し御家紋も賜り、社殿額面、御神輿、祭具等に著るされ、毎年六月十三日より仝月十五日に亘り「厳粛ナル祭典ヲ執行」して崇敬した、と云う。(伊達家封内風土記巻十四)。嘉永二年、境内地社殿、御長床を悉く改築。現拝殿の天井画はこの時に掲げられた。明治三年五月「八坂神社」と改號、仝五年十二月郷社に列せられ仝年大国主神、事代主神、宇迦之御魂神、奥津彦神、奥津姫神を合祀。昭和十五年、皇紀二千六百年を記念して氏子及び崇敬者よりの寄進を得て本殿、拝殿、幣殿、神饌所並びに社務所を改修築し境内地を拡張修理、参道の修理を行う。加えてこの記念として植林も行われた。境内社の十社は元々稲葉の十方位にそれぞれ鎮座してあったものを昭和九年、耕地整理の際に境内へ移築合祀。これは京都本社に傚い祀られた社と云われる。旧社務所は天保十二年の建物で元代官所、志田郡々役所として使用され、又明治天皇が東北御巡行の折り三度お泊まりになられた行在所であったものを昭和三十一年に境内に移築し使用していたが、昭和六十一年、昭和天皇御在位六十年を記念して現在の社務所を新築する際に解体された。(宮城県神社庁より)









































宮城県大崎市に鎮座する祇園八坂神社にお詣りしました。
市内の中心からやや離れている場所ですが、それでも周囲は住宅が密集している所にありました。
住宅地の中にあるため道端が決して広くはなく、対向車には気を付ける必要があります。
神社周囲は赤い柵に囲われ、大鳥居の迫力からも格式を感じられます。
駐車場は道路沿い、大鳥居の右側にありました。5台くらいなら停められそうです。
境内は広く、日曜日でしたが私以外の参拝者はおりませんでした。その為神社に漂う清浄な空気を満喫することができました。
コロナ対策の為か手水社からは水が出ていませんでした。
境内には夏越の祓にも使われたと思われる立派な茅の輪があり、作法に則ってくぐりました。
拝殿にてしっかりご挨拶し、改めて境内を巡りますと広い敷地の左手奥に複数の摂社がありました。調べた所、この地域にあった幾つかのお社を合祀されたようです。
社務所へ行く前にそれぞれの摂社へご挨拶。
最後に社務所へお伺い。お昼の忙しい時間にも関わらず、お若く綺麗な女性の方が丁寧に対応してくださいました。私服でしたが宮司様でしょうか。ありがとうございます。
またいずれゆっくり立ち寄りたいと思える素敵な神社です。

拝殿です。


大鳥居から撮影

茅の輪がありました。

大きい神楽殿もあります。

石碑には不動尊とあります

地蔵尊の社もございます。

天神社

不動尊社

穴守稲荷神社の社。小さな鳥居も有りましたが、残念ながら破損しておりました。
早めに修復されることをお祈りいたします。

観音堂

白山神社の社

愛宕神社の社

鹿島神社の社
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