かしまじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方鹿島神社のお参りの記録一覧

金蛇水神社の次に伺ったのは丸森町に鎮座する鹿島神社です。
石段を登っている途中でここでも羽黒トンボが何羽か飛んでいました。
お参り後、直書きの御朱印を頂戴しました。

鳥居です。

鹿島神社のいわれです。

狛犬さんです。

狛犬さんです。

社殿です。

羽黒トンボです。

直書きの御朱印です。

鹿島神社(かしまじんじゃ)]
鎮座地
宮城県伊具郡丸森町小斎字日向4
主祭神
武甕槌神
例祭日
4月17日
連絡先
0224-78-1343
由緒
景行天皇の御代、日本武尊東征の砌り創祀し、国家鎮護を祈願したといわれる。清和紀貞観8年伊具郡鹿島苗裔神一座云えるは当社のことにて相当栄えし神社と覚ゆ。もと鹿島大明神と称し修験(本山派)宝成院社務に預る。当領主小斎長門、又、天正以後は佐藤氏(伊達公族当邑主)に於いても大小祭典並造修営に従い、尊崇怠ることなし。維新の改革により社号を改め、明治3年修験宝成院は清水宮人藤原国清復飾、同5年太政官達により村社に列せられ、同40年の3月幣帛供進神社に指定された。本殿は天文元年の再建で拝殿は寛政4年再造にかかる。流鏑馬祭は鎌倉時代からの古神事で、毎年正月、村の若者から10人射手を募り、15日の午后より神社の精進舎に17日の早朝まで2夜3日の沐浴精進を行い、辰の時刻を期し、流鏑馬を執り行うのである。藩政時代には領主佐藤氏より検視役を遣わし優劣の襃貶を行った。射手に太郎、次郎とあり、外に御山の大将があって射手を指揮する。神的、かりがね等の古儀がある。戦争にて中断されていたが、平成3年3月3日に復興。

小斎鹿島神社 社務所にて直書き御朱印頂戴いたしました

小斎鹿島神社 奉射祭(やぶさめ)小斎に伝わる(やぶさめ)は、馬に乗って矢を射る(流鏑馬)とは異なり射手が立って射る(歩射)もので記録には奉射祭と書かれており(やぶさめ)と呼ばれている

小斎鹿島神社 御祭神武甕槌神様、年間行事、由緒と沿革について書かれています

小斎鹿島神社 境内にある(社碑、石碑の群れです

小斎鹿島神社 入口正面(一ノ鳥居)右側(村社鹿島神社の社号標)です

小斎鹿島神社 一ノ鳥居上部掲げてある(鹿島神社の社額)です

小斎鹿島神社 鳥居からの参道の様子です

小斎鹿島神社 境内からの様子です(右側(御神木)

小斎鹿島神社 ニノ鳥居の様子です

小斎鹿島神社 参道左側(神輿堂)推定の様子です

小斎鹿島神社 拝殿前(吽形の狛犬さん)の様子です

小斎鹿島神社 拝殿前(阿形の狛犬さんの様子です

小斎鹿島神社 拝殿前の様子です

小斎鹿島神社 拝殿前正面左側からの様子です

小斎鹿島神社 境内左奥側からの社殿の様子です

小斎鹿島神社 境内右奥側からの社殿の様子です 御祭神 武甕槌神様

小斎鹿島神社 拝殿前正面左奥側(招魂社)この招魂社は、日露戦争において強国ロシアと戦い日本のために若くして戦死した、弟(佐藤右門)を、兄(佐藤左門)が弟の英霊を祭ったものである

小斎鹿島神社 由来について書かれてます

(観光案内サイトより)小斎鹿島神社のやぶさめは、馬に乗って矢を放つ流鏑馬とは違い、立ったまま射るやぶさめ(奉射祭)である。
寛永20(1643)年、小斎佐藤家四代領主清信公が奉射祭を行ったのが始まり。奉射祭は弓士10名が前日より精進潔斎をし、神的神事より始め、大的射礼、かりがねの的射礼が行われる。一年の天候を占い五穀豊穣・地区の安全を祈願する祭りである。
❊御祭神:武甕槌神様

鹿島神社(小斎) 入口からの鳥居と右側にある(村社鹿島神社)の社号標の様子です

鹿島神社(小斎) 鳥居からの参道と奉納旗(家内安全と奥側に必勝祈願)の様子です

鹿島神社(小斎) 参道からの拝殿の様子です。 御祭神:武甕槌神様
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ























7
0