かきざきじんしゃ
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楽しみ方蠣崎神社のお参りの記録一覧

蠣崎神社へ参拝に上がりました👏
蠣崎神社は、政宗公の愛馬「五島」を祀る神社です。関ヶ原の戦いの際、五島は政宗公を敵の危機から救ったことから、政宗公は五島の忠義に感動し、手厚く葬り、その地に神社を建てたと伝えられています。
鳥居⛩️を潜ると、突如、🐈ちゃんが目の前に現れて、拝殿の前まで導いてくれました。
『五島』のお友達かもしれません😊





仙台大神宮から徒歩で数分の距離にある馬上蠣崎神社にお参りしました。
無人のためか少し寂れた感じを受けますがこのお宮は伊達政宗の愛馬が祀られているため由緒がある神社なのですね。
それと役行者と前鬼と後鬼も…
静かにお参りさせていただきました。

いわれが書かれた看板です。

鳥居から見た社殿です。

役行者と前鬼と後鬼です。

社殿です。狛犬が可愛い。

蠣崎神社へ参拝に上がりました👏
先月5/17〜18は『仙台青葉まつり』が開催されました。蠣崎神社と青葉まつりの間には政宗公と愛馬の絆のエピソードがあります。
青葉まつりは、伊達政宗公の遺徳を偲ぶ祭りですが、この祭りには蠣崎神社が関わっています。蠣崎神社は、政宗公の愛馬「五島」を祀る神社です。関ヶ原の戦いの際、五島は政宗公を敵の危機から救いました。政宗公は五島の忠義に感動し、手厚く葬り、その地に神社を建てたと伝えられています。
青葉まつりの雀踊りは政宗公の入城を祝うものに由来し、青葉神社の神輿渡御など、祭りの各要素は政宗公の歴史と文化を色濃く反映しています。蠣崎神社は直接、祭りの行列には加わりませんが、政宗公と愛馬「五島」の忠誠の物語は、青葉まつりが大切にする「伊達文化」の精神と深く結びついています。
蠣崎神社は、政宗公の愛馬「五島」の物語を通じて、青葉まつりの背景にある深い絆と感謝の精神を今に伝える場所なんです😊





時代絵巻巡行を彩る『山鉾』

時代絵巻巡行を彩る『山鉾』

時代絵巻巡行を彩る『山鉾』

華麗な演舞『すずめ踊り』

華麗な演舞『すずめ踊り』

仙台を代表する企業の1つアイリスオーヤマさんが今年の祭りに合わせ建造した山鉾、堂々と巡行に仲間入りこれで、山鉾は12基になりました。そっ💦備蓄米(古古米🌾)の低価格販売ありがとうございます😊

所在地: 仙台市青葉区片平1-2-18
主祭神: 保食神、磯良神
社 格:
創 建:詳細不明
由 緒
藩祖政宗公に功臣後藤信康が献じた五島という愛馬があった。年老いて慶長十九年(1614)十月公の大坂出陣に洩れた事を悲しみ本丸の崖から飛下り死亡した。依ってその地蠣崎に葬り馬上蠣崎神社を建てて祀り追廻馬場の守護とした。明治四年片平丁の旧一門格修験良覚院跡に移して社殿成り、桜田如水を宮司として市民の間に五島墓さんと称して親しまれた。古来旧三月十五日草餅を笹に付けて門口に挿し、病送りとする梅若のコトの日を祭日としたが、後八月一日二日に改めた。子どもの馬脾風(ジフテリヤ)除けの信仰があり、胡桃を奉納する。
境内由緒書き より











🫏伊達政宗公の愛馬の悲しい物語🫏
伊達政宗公の愛馬が眠る『蠣崎神社』に参拝にあがりました👏
政宗公が乗っている馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島(ごと)」と呼ばれました。政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていましたが、大坂の陣の戦の時には老齢で留守番を言い渡されてしまいました。残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して仙台城の崖から飛び降りて死んでしまったそうです🥲大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎」という所だったため、そこへ蠣崎(かきざき)神社を造って祀り、馬の守り神としたそうです。
現在の場所は明治4年に移転、元の場所には小さな祠が残されています。
💡御朱印は伊達家の氏神さま『亀岡八幡宮』で授与いただけます。














🫏伊達政宗公の愛馬の悲しい物語🫏
⭐️✨馬上蠣崎神社✨⭐️
先週末は仙台藩最大のお祭りだった仙台祭を起源とする『仙台青葉まつり』が開催されました。新緑のケヤキ並木で華々しく舞う、すずめ踊り、山鉾巡行、時代絵巻巡行などが行われ2日間で93万人もの方々が訪れてくれたようです(感謝)😊
青葉祭りの前、伊達政宗公の愛馬が眠る神社を参拝🙏してきました。
政宗公が乗っている馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島(ごと)」と呼ばれました。政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていましたが、大坂の陣の戦の時には老齢で留守番を言い渡されてしまいました。
残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して仙台城の崖から飛び降りて死んでしまったそうです🥲大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎」という所だったため、そこへ蠣崎(かきざき)神社を造って祀り、馬の守り神としたそうです。
現在の場所は明治4年に移転、元の場所には小さな祠が残されています。
💡御朱印は伊達家の氏神さま『亀岡八幡宮』で授与いただけます。亀岡八幡宮⛩️については5月に投稿していますので、そちらもご覧いただければ嬉しいです😊

街の中にひっそりと佇んでいます。

拝殿

伊達家の家紋(竹に雀)入り
亀岡八幡宮で授与いただけます。

青葉まつりで巡行する山鉾の1つ
私はこの『政宗公兜山鉾』が1番好きです❤️



青葉まつりのメイン通りになる定禅寺通り
🌲ケヤキ並木🌲が素敵過ぎます💓

亀岡八幡宮で御朱印を戴いたので、仙台大神宮から向いました。政宗公の愛馬「五島」号を祀っています。無人の神社ですが、亀岡八幡宮が兼務しております。良覚院丁公園に隣接して鎮座しています。こちらは修験道の寺跡になります。神社は明治になり遷座されてきており、元の地には蠣崎稲荷神社が鎮座しています。政宗公の家臣からの献上馬「五島」号はいつも一緒に戦に出かけていたが、老馬になり大坂の陣の際には留守番であった。もう政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して崖から飛び降りて死んでしまったという、伝説が残っています。その落ちた地は本丸の石垣の下に祠を建てて馬の守り神として祀ったとされる。明治になり軍によりこの地が徴収され今の地に遷座したものです。元の地には今は稲荷神社が祀られています。

鳥居

由緒書

手水舎

手水鉢

嘉永四年(1851)奉納の狛犬


拝殿

扁額

妙法馬頭観世音(明治四十年)

山神

役行者石像説明碑

役小角像と鬼神像
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