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資福禅寺ではいただけません
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資福禅寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月31日(水)
参拝:2023年9月吉日
宮城県仙台市青葉区に境内を構える、慈雲山 資福禅寺、資福寺観音堂、仙台の北山に並ぶ禅寺「北山五山」の一つで、別名“あじさい寺”とも言われ資福寺を彩る紫陽花は1200株在るそうです、仙台三十三観音巡りで参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました。山号は慈雲山、寺号、院号は資福禅寺、宗派は資臨済宗妙心派、ご本尊は聖観世音菩薩、仙台三十三観音霊場、第三番札所、資福寺は、弘安年中(1278-1288)長井氏三代時秀入道西規が、越後・出羽・陸奥の交通の要衝に当たる屋代庄夏狩郷(東置賜郡高畠町夏茂)に禅寺を創建せんと鎌倉建長寺の大休正念(仏源禅師)の高弟紹規(義翁紹仁)を招いて建立したと伝え、紹規は師を尊んで、大休正念を開山としたといわれています。伊達氏の時代になると、大膳大夫政宗夫妻の墓が寺域に移され、持宗は比叡山仏師に観音像を刻ませ本尊としました。元亀三年(1572)輝宗は政宗の師として赤湯村東昌寺に寓居していた虎哉を招き資福寺を中興開山、三代義廣夫妻の菩提寺である伊達郡の観音寺と興福寺を吸収、菩提を弔うようになりました。この時、観音寺と興福寺から観音像三十三体並びに義廣夫妻の霊牌が安置されたといいます。天正十三年(1585)十月八日、二本松畠山義継によって輝宗が非業の死を遂げると、翌九日小浜に移され、政宗は資福寺虎哉和尚を導師として信夫郡佐原村の寿徳寺で荼毘に付し、置賜郡夏刈村の資福寺に葬りました。天正十九年(1591)政宗に従い岩出山に移り、慶長五年(1600)仙台開府に合わせて谷地小路(東七番丁)に、寛永十五年(1638)には現在の北山の地に移転しました。往時の堂塔伽藍は広壮なもので、伊達氏三代義廣の霊廟として塔頭の長昌庵も建てられていましたが、明治維新後焼失、廃寺となっています
すてき
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