臨済宗東福寺派
光明寺のお参りの記録一覧
こちらも青葉神社からの帰りにお見掛けしたのでお参りしました。
東昌寺の隣にあります。
有難いことに こちらも境内に入ることができました。
参拝者はおられたのですが どうやら墓参りのようで ご住職などとお話をすることは叶いませんでした。
光明寺は 千手観音を本尊とし 弘安六年(1283)伊達氏四世政依が始祖朝宗夫人結城氏(光明寺殿了修願善尼大姉)の菩提を弔うため伊達郡旧光明寺村に建立した寺で 政依に請われた山叟慧雲和尚により東昌寺 満勝寺 観音寺 興福寺と共に開山され 京都五山 鎌倉五山に倣って伊達五山と称されました。
幾度の火災により 開山以降の詳細は不明な点が多いものの 伊達政宗による仙台築城の四年後 慶長九年(1604)現在地に移転 古岫和尚を仙台における中興開山としました。
寛永元年(1624)火災により一切を焼失するも 政宗により壮麗な伽藍が再建され 藩政期は一門格で寺領百二十七石を賜っていました。
とのことです。
またしても政宗公。素晴らしい。
石柱
山門に続く階段の手前に門
山門から見下ろした階段
山門に柵があるのですが 参拝者がおられました
お地蔵様
本堂
扁額
新しくはないようです
観音様
書院
北山五山もラストです。
最後は光明寺。伊達家臣であった支倉常長様のお墓がありますが、伊達家の祖、伊達朝宗公のご夫人の菩提寺でもあります。
支倉常長様は政宗公の命でローマへ渡ります。
政宗公がキリスト教徒の力を借りて倒幕を目論んでいた等言われていますが、真相はわからず。
ただ常長様が帰国する頃には、時代は代わり鎖国に入ってしまったため無念の帰国となりました。
政宗様も立場上、キリスト教の洗礼を受けるわけには行かなかったこともあり、計画は失敗に終わりました。
ですが現在では常長様が持ち帰られた様々な品が国宝になっています。
昨年は仙台市博物館でたくさん見させていただきました。
常長様がローマに持ち込んだ和紙はローマでも重宝されたとか。
未来に感動を残してくれたことは間違いありません。
北山五山、仙台来たら行くべき名称なのに今更初めて伺いましたが1寺1寺がとても歴史のあるお寺で再び感動です。
そして、一日に全部を回るのは結構な体力が居ることもわかりました。笑
入口に柵があるから入っていいか戸惑ってました。
もう少し早く行けばツツジが満開でキレイだったかも知れません。でもこの整った緑もすごくキレイ!
ご本堂。
常長様のお墓へは3箇所位にこっちだよ!って案内があります笑
一応ここが本物のお墓とされていますが、地域によってはもっと長生きしていたとか伝わってますね。
こちらが常長様のお墓です。
ソテロさんの碑は横にあります。
こちらの観音様、日差しをあびてとってもキレイだったので見入ってしまいました♡
お忙しかったようで御朱印は書き置き。日付も自分で書いてって言われたので書きました。笑 お忙しい中ありがとうございます。
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