うるふしねじんじゃ
宇流冨志祢神社のお参りの記録一覧

三重県名張市平尾に御鎮座する、元伊勢伊賀陰志守宮の宇流冨志禰神社に再度参拝に行って来ました。前回参拝にきたのですが、宮司さんと禰宜さんのお二方は会議に出掛けておりましたので御朱印が頂く事が出来ませんでした。なので再度参拝に来ました。この日はご在宅でしたので御朱印を頂く事が出来ました。
宇流冨志禰神社と書いてある、真ん中の「志」の文字の横ぼうが大きく書いてある意味を教えてくれました。
大きな志を持って生きて頂きたいと言う意味だそうです。この志という文字が上から4つ目、最後からも4つ目のちょうど中心にあるためにとも言ってました。
宇流冨志禰神社は元伊勢伝承がありますが、崇神天皇の時に「倭姫世紀・神宮後鎮座記」に伊賀陰志守宮二年奉斎とあり、倭姫の巡幸があったことが記されています。
1580年に起きた天正伊賀の乱で、社殿、宝物、古文書など全て焼き討ちにあい全てを失いました。
御祭神は宇奈根命
水、穀物の神であり、名の由来は元々の御神体である赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にある事から、うねる→うなねになったと言われています。
宇流冨志禰神社という名も、潤うふし水という語源を元にできたと伝えられています。
他の祀られている神様は、武甕槌命、經津主命、姫大神、大物主命、火之迦具土命、宇迦之魂命、建速須佐之男命、天児屋根命、応仁天皇、仁徳天皇になります。
神社入り口な鳥居
狛犬
狛犬
狛犬
狛犬
拝殿
松尾神社
皇大神宮遥拝所
八幡神社
八幡神社
由緒書き
神武天皇遥拝所
小宮殿
白玉明神
護国神社
稲荷神社
愛宕神社
市杵島姫神社

元伊勢忍山神社の次は、三重県名張市に御鎮座する元伊勢 隠市守宮の宇流冨志禰神社さんに参拝に行って来ました。
境内は綺麗に管理されていて、住宅街のなかにあり、静かでひっそりとしてました。
静かなところでゆっくりとお詣りをさせて頂きました。
社務所は開いてましたが、留守になっていたので、神社横にある宮司さん宅に行き御朱印をお願いしましたが、奥さんが出てこられ、宮司さんも禰宜さんも会議に出掛けたということで不在でした。また、違う日に参拝に来たいです。
最初の鳥居
石標
手水社
手水社
由緒書き
拝殿
拝殿内
狛犬
狛犬
灯籠
興玉松尾神社
興玉松尾神社鳥居
山の神 山王権現
八幡神社
6社の神社が祀られていました。
稲荷神社
愛宕神社
白玉明神
市杵島姫神社
八坂神社
護国神社
多賀大社遥拝所
三輪明神 大神神社遥拝所

主祭神 宇奈根命
武甕槌命 經津主命 姫大神 大物主命
火之迦具士命 宇迦之魂命 建速須佐之男命天兒屋根命 応仁天皇 仁徳天皇
水と穀物の神が祀られる由緒ある神社
名前の由来
御神体である赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にあることから、「うねる」→「うなね(宇奈根)」となったと伝わります。
宇流冨志禰神社という名も「潤うふし水」という語源を元に名付けられたと言われています。
残念ながら、赤石は家に帰ってから知ったので行ってないです💦赤石は神社の近く、名張川の「弁天岩」(Google Maps)
御朱印を拝受♡
神社の名前は「志」という字が真ん中に。
人の身体で言うと丹田
お腹に力を入れて、筋を通す。
横棒を長く書いてます。と宮司さんがそのような内容のお話をして下さいました😊
なるほど〜でした(๑˃ᴗ˂)و♡

【伊賀国 式内社巡り】
宇流富志禰神社(うるふしね~)は、三重県名張市平尾にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は宇奈根命(うなね)、相殿神は武甕槌命、經津主命、姫大神、大物主命、火之迦具士命、宇迦之魂命、建速須佐之男命、天兒屋根命、応仁天皇、仁徳天皇。
戦国時代1580年の天正伊賀の乱で社殿や宝物、古文書を焼失しているため、創建は不詳。国史である『日本三代実録』によると、平安時代の873年に「宇奈根神」の神階奉授の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「伊賀國 名張郡 宇流富志禰神社」に比定されている。戦国時代に伊賀領主・筒井貞次の重臣・松倉勝重が着任すると神領を寄進し、江戸時代には藤堂高吉がさらに神領を寄進した。明治時代になると、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、近鉄大阪線・名張駅の南西500mの、名張川の北岸の小高い場所にある。境内の西側80mほどの場所に一の鳥居と社号標があり、そこから参道の坂道を登るが、公道にもなっている。二の鳥居以降の境内地はそこそこの広さがあり、社殿や社務所も大きい。
今回は、伊賀国の式内社、旧県社と言うことで参拝することに。参拝時は週末の午後で、昇殿祈祷者含め、ぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内の100mほど西方の公道上にある<二の鳥居>。
鳥居から坂道を徐々に登って行く。道の両側は神社の土地なのか、奉納燈籠がきれいに並んでいる。
坂道の右側にある<柳原地蔵尊>。神仏習合の名残りでも、今でもお供え物が多い。
境内近くまで来て、坂道の右側にある<忠魂碑>。
境内手前、坂道の右側にある大きな<奉納燈籠>。
奉納燈籠の前から境内全景。境内地の南側(写真右側)に参道や社殿があるのが分かる。
境内西端入口の階段と<社号標>。
階段を上がって左側にある<手水舎>。
階段を上がって正面にある<三の鳥居>。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<授与所>。御朱印はこちら。
参道進んで右側にある<鹿の像>。神の使いかな? 当社HPにも鹿の像の写真は載っているが説明はない。
参道右側の建物群。おそらく社務所等。特設テントでは秋季例大祭の写真を展示。
参道左手の建物。ずいぶん大きいけど参集殿かな。
<拝殿>全景。
拝殿前左手の<狛犬>。
拝殿前右手の<狛犬>。
<拝殿>正面。上部には「宇流富志禰神社」の扁額。この時はたまたま昇殿祈祷中。
拝殿前にある<奉納樽>。地元・名張の地酒「瀧自慢」(瀧自慢酒造)と「天下錦」(福持酒造場)。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿の左隣にある<輿玉松尾神社>の拝殿。
<輿玉松尾神社>の拝殿内部。奥に本殿が見える。
本社拝殿と輿玉松尾神社拝殿の間にある<皇大神宮遙拝所>の石柱。
輿玉松尾神社拝殿の左側にある<宮城遙拝所>と<明治天皇遙拝所>の石柱。これは珍しいかも。
手水舎近くまで戻って、境内北側に境内社などが集まったエリアがあるので見て廻る。
手水舎の裏にある境内社<三輪明神 大神神社>と<神武天皇遙拝所>の石柱。
西側には境内社6社が集められている。左から順に、白玉明神、愛宕神社、稲荷神社、護国神社、八坂神社、市杵島姫神社。
境内社6社の隣にある<多賀大社遥拝所>の石碑。当社は遙拝所が充実している。
こちらは<山ノ神 山王権現>。
左は<八幡神社>、右は<山神の祠>。
最後に<社殿>全景。地元風の人々がちょこちょこ出入りしていて、しっかり地元に密着している感じ。(^▽^)/

伊賀国名張郡の式内社です。名張駅から徒歩10分ほどにあり、『日本三代実録』にその名が現れるほどに名張市の鎮守社として長い歴史を持つ神社です。
また、積田神社や大村神社と同じく武甕槌神さまたちが東国から春日大社まで向かわれる道中の伝承地でもあります。
《一の鳥居》
名張駅のある大通りから少し住宅街を抜けて川に面した位置に参道があります。
《二の鳥居》
ここからもわかるくらい風格を感じますね。
ちなみに社名の「うるふしね」は"潤うふし水"から来ていることから、この川が昔から水が豊富だったことがわかります。
《手水舎》
柄杓なしでも使えるようになってました。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
この神社は天照大御神さまの鎮座地を探して旅をしていた倭姫命さまが、伊勢に至るまでに二年奉斎していた「伊賀陰志守宮」の比定地に挙げられます。
つまり、丹後の籠神社と同じく"元伊勢"の一社ということになります。
《拝殿内部》
胡床が等間隔に置かれ、祈祷ができる体制が整えられています。
前述した通りここも春日神行幸跡地の伝承があるので、社紋が下がり藤になっています。
《斎館》
《末社・松尾神社》
立派な拝殿が建てられています。
こんなところに分社があるのは珍しいですね。
《多賀大社遥拝所》
場所的にはかなり遠くになるので遥拝所があるのは意外でしたね。
まぁ遠くないと遥拝にせず行けてしまいますからね。
《授与所》
無人でしたが「御用のある方は宮司宅へ」とのことだったので伺いましたら、宮司の奥さまが応対してくださいました。
この神社もコロナの影響で祭りが例年通り行われずつらいと話されておりました。
来年こそは祭りが再開できることを祈ります。
《伊賀地方神社マップ》
やべぇ…行きたい神社も多いしすごい気になる神社が多すぎる…
まだまだ伊賀の旅は続きそうです。
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