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浄薬寺(楊枝薬師堂)ではいただけません
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じょうやくじ(ようじやくしどう)|曹洞宗頭痛山

浄薬寺(楊枝薬師堂)
三重県 紀伊井田駅

御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
なし

なし(境内横に広場がある)

おすすめの投稿

ハナナチエ
2020年07月04日(土)
2214投稿

頭痛平癒の楊枝薬師堂。

熊野川沿いを走るR168から橋を渡り、細い県道...小船紀宝線というそうです。を、川沿いに走ると出てくる。
周囲は熊野川以外見事になにもない。
駐車できるスペースあり。

山門も入り口というのはなく、数段階段を上がったところに本堂がある。スロープあり。
本堂の横に授与所のような建物、反対にお墓。山の中にもお墓がちらほら。忠魂碑もある。
境内にある石灯籠はかなり古そう。
本堂のところにお守りを売っている。

この地にあった楊の大木で京都にある三十三間堂を作ったと伝わる。
頭痛に困っていた後白河法皇。夢の中に薬師如来が現れ「熊野川の楊の大木で大伽藍作って自分の像掘ってくれたら頭痛治るで」というので、柳の天女が助けてくれたりなんやかんやで、三十三間堂ができた。
お礼にこの地に七堂伽藍を作ったとされるが、今は薬師堂が残るのみ。

三十三間堂のどこに使ったのかわからんけど本堂は国宝。鎌倉時代に再建しているのでここの楊を使った名残はないってことになるのかな。後、三十三間堂に薬師如来いない気がする。

以前から行きたかった薬師堂へ念願の参拝。
周囲は何もないのでうっかり見つけて参拝ってのはなさそう。

浄薬寺(楊枝薬師堂)の本殿

薬師堂正面

浄薬寺(楊枝薬師堂)の本殿

薬師堂横から

浄薬寺(楊枝薬師堂)(三重県)

お守り販売と楊枝薬師ご本尊の修復費用の協力仰ぎ

浄薬寺(楊枝薬師堂)の建物その他

忠魂碑

浄薬寺(楊枝薬師堂)の自然

熊野川はこれぐらい

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浄薬寺(楊枝薬師堂)の基本情報

住所三重県熊野市紀和町楊枝416
行き方
アクセスを詳しく見る
名称浄薬寺(楊枝薬師堂)
読み方じょうやくじ(ようじやくしどう)
通称頭痛山平癒寺
参拝料

なし

トイレなし
電話番号0597-97-1114
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

熊野西国三十三箇所

番外札所

御本尊:薬師如来

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号頭痛山
宗旨・宗派曹洞宗
文化財

楊枝薬師堂(市指定文化財)

ご由緒

楊枝薬師堂は、京都三十三間堂棟木の霊地として、頭痛平癒、病気療治に顕著な霊場である。
二条天皇の永暦年中(1160〜61)、先帝の後白河法皇が頭痛のため苦しまれ、自ら京都の因幡薬師堂に籠り、平癒祈願をなされました。
伝承によれば、或る夜、金色の御仏が現れ、「我は薬師如来である。熊野川のほとりに楊(やなぎ)の大樹があり、かの楊を切り都に大伽藍を建立し我が像を彫刻しまつれば頭痛は癒えよう」と告げられ早速切らせましたが、大樹のため動かすことができず難儀していたところ、不思議にも水中から天女が現れ、神力で軽々と京まで運ぶことができました。「柳のおりゅう」のことです。そして、長寛二年(1164)に蓮華王院、即ち三十三間堂が建立されました。
その後、頭痛は平癒し、熊野楊枝の里の楊の切り跡にも七堂伽藍が建立され、直作の薬師如来が本尊として崇められました。
熊野の楊をもとに三十三間堂を建立したと言う話は、楊枝の楊の大木が信仰の対象として崇められ、後に熊野へ頻繁に御幸された後白河法皇を主役とし、それに薬師如来と観音信仰を結びつけて、正月の重要な行事である楊枝浄水供養が行われる京都の三十三間堂の関係を縁起としていったものと考えられる。

体験お守り伝説

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