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ふたみおきたまじんじゃ

二見興玉神社の御由緒・歴史
三重県 二見浦駅

ご祭神猿田彦大神
宇迦御魂大神
ご神体興玉神石
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが慣わしでした。これを浜参宮と言います。

現代では、当社で霊草無垢塩草での祓い清めを受けます。これに使う幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)です。

二見浦はヤマトヒメの伝承が残る土地ですが、なぜ伊勢参宮の前の禊がこの浜で行われなければならないのか、は謎。

夫婦岩が有名ですが、夫婦岩はいわば鳥居。核心はその先にある、浜参宮でも使用される海草を採る興玉神石。これは、サルタヒコそのもの、だと思われます。あるいはサルタヒコの墓石。『古事記』にもサルタヒコ溺死の状況が活写されています。

『倭姫命世記』によれば、内宮はサルタヒコの末裔・大田命が発見し、管理してきた土地を譲り受けて創建されているため、やはり伊勢神宮とサルタヒコは深い関係にあります。

ちなみに、サルタヒコは内宮に興玉神として祀られ、内宮の所管社として、伊勢の神宮125社の一社となっています。

歴史
歴史[編集] 二見興玉神社東の参道 1910年(明治43年)、猿田彦大神を祀る興玉社(おきたましゃ)と宇迦御魂大神を祀る三宮神社(さんぐうじんじゃ)を合祀したもので、その際に現社名に改称した。 興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるという。天平年間(729年 - 748年)、僧行基が興玉神の本地垂迹として江寺(えでら)を創建し、境内に興玉社を建てて鎮守社とした。後に現在の二見浦へと遷座した。 三宮神社は、元は現社境内の天の岩屋の中に祀られていたが、文禄年間に岩屋の外に移された。1910年(明治43年)に興玉社本殿に合祀された。古い参詣記には三狐(さんぐ)...Wikipediaで続きを読む
引用元情報二見興玉神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BA%8C%E8%A6%8B%E8%88%88%E7%8E%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97869222

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