ふたみおきたまじんじゃ
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二見興玉神社ではいただけません
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二見興玉神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2022年01月25日(火)
参拝:2022年1月吉日
猿田彦大神は天孫降臨の節、天八衢にて天孫をお迎えご先導を以て御神威を顕わされました。
その後、「吾は伊勢の狭長田五十鈴川上にいかん」と仰せられ、天鈿女命の侍送により伊勢に還りこの地に住まわれました。
垂仁天皇の皇女倭姫命が天照皇大御神を奉戴され、この二見浦に御舟を停められたとき、興玉大神は海上の厳島に出でまされ、御神幸を守護し奉り五十鈴の川上に大宮地を定められました。
そして、未来永劫、皇大神宮大宮地の守護神として鎮まられ、内宮御垣内に興玉神が奉斎せられるに至りました。
創始は、此の厳島を大神の坐す島と崇め敬い興玉神石と尊称し夫婦岩(立石)として注連縄を張り、その前に遥拝所を設け拝礼致したことによります。
その後、天平年間に僧行基がこの地に参り、興玉神の本地垂跡と称し観世音菩薩を本尊に迎え江寺を創建、興玉社を鎮守の神として同寺の境内に社殿を設け、仏者の手において祭祀が執り行われました。
時が移り明治9年、神仏分離により新たに元の立石前に神社として御造営御鎮座されたのであります。
興玉大神の由来は、起魂・招魂であり、魂を導き甦らせる神であり、その御神徳は土地の邪悪を鎮定し守護し給う大地主大神、または衢神として土地の災厄を祓い清め道を開く大神であります。
相殿神である宇迦御魂大神は天乃岩戸の内に祭祀せられた元三宮神社(三狐神社)の祭神であり、豊宇氣大神の御別名にして御饌都大神であります。
文禄年間に天乃岩戸内より外側に遷座し奉り、明治43年元興玉社と元三宮神社を合祀し奉り二見興玉神社と神社名が改められました。
宇迦御魂大神は衣食を満たし産業を加護し給う大神であります。
その後、「吾は伊勢の狭長田五十鈴川上にいかん」と仰せられ、天鈿女命の侍送により伊勢に還りこの地に住まわれました。
垂仁天皇の皇女倭姫命が天照皇大御神を奉戴され、この二見浦に御舟を停められたとき、興玉大神は海上の厳島に出でまされ、御神幸を守護し奉り五十鈴の川上に大宮地を定められました。
そして、未来永劫、皇大神宮大宮地の守護神として鎮まられ、内宮御垣内に興玉神が奉斎せられるに至りました。
創始は、此の厳島を大神の坐す島と崇め敬い興玉神石と尊称し夫婦岩(立石)として注連縄を張り、その前に遥拝所を設け拝礼致したことによります。
その後、天平年間に僧行基がこの地に参り、興玉神の本地垂跡と称し観世音菩薩を本尊に迎え江寺を創建、興玉社を鎮守の神として同寺の境内に社殿を設け、仏者の手において祭祀が執り行われました。
時が移り明治9年、神仏分離により新たに元の立石前に神社として御造営御鎮座されたのであります。
興玉大神の由来は、起魂・招魂であり、魂を導き甦らせる神であり、その御神徳は土地の邪悪を鎮定し守護し給う大地主大神、または衢神として土地の災厄を祓い清め道を開く大神であります。
相殿神である宇迦御魂大神は天乃岩戸の内に祭祀せられた元三宮神社(三狐神社)の祭神であり、豊宇氣大神の御別名にして御饌都大神であります。
文禄年間に天乃岩戸内より外側に遷座し奉り、明治43年元興玉社と元三宮神社を合祀し奉り二見興玉神社と神社名が改められました。
宇迦御魂大神は衣食を満たし産業を加護し給う大神であります。
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