きゅうしょうじ
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久昌寺ではいただけません
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久昌寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月07日(月)
参拝:2022年2月吉日
伊勢志摩方面の4寺目は伊勢市に在る知盛山 久昌寺です。今回の最後となります。
伊勢市と言っても一番南の隣の南伊勢町に近い山あいの集落にあります。
曹洞宗で、本尊は阿弥陀如来。
この阿弥陀如来立像は重文です。
平家の平清盛の四男·知盛は1185年の檀ノ浦の戦いで自害した事になっていますが、自害せずに従者30人と伊勢の船江に上陸し、下宮に一時期かくまわれていたが(平清盛は伊勢平氏の家系であり伊勢にゆかりがあった。)、追っ手により峠を越えてこの地へ来て隠れ住んだ。そして1190年に平家再興の願いと平家一族を弔うために久昌寺を創建したと伝わります。
尚、本尊・阿弥陀如来の内部には1221年作の墨書きがあります。また、阿弥陀如来の前には平知盛の位牌が新旧2つ置いてありました。
こちらの寺院も無住のため檀家さんが護っておられますので、拝観には伊勢市文化政策課に連絡して檀家代表様に取り次いで頂く必要があります。
約束の時刻より少し早く着きましたので、取り敢えず代表様に到着した旨の連絡だけして、周りを散策しましたが、川のせせらぎの音と鳥の鳴き声しか聞こえてきません。物凄く静かです。都会の喧騒に慣れてしまっている者にとっては静か過ぎる位でした。
そうこうしていたら代表様がいらっしゃいました。早速収蔵庫へ案内頂き、阿弥陀如来と対面させて頂きました。
高さ約97cm、衣紋の股にかけてのY字形が綺麗ですし、腕から垂れている部分がとても薄くてシャープです。やや高い所に祀られていますので見上げる感じで少し距離があり、眼がはっきり見えず瞼が腫れぼったい様な感じでした。こちらも好きなだけ写真撮って下さいよと仰有って頂きました。
それから本堂に入らせて頂き、古文書とか説明して頂きました。拝観料500円をお支払し、御朱印をお願いしました。
ここは平家の里と呼ばれていますが、平家の落人伝説は各地にあります。本当なのか、後の世の作り話なのかはわかりませんが、ロマンがあります。
伊勢市と言っても一番南の隣の南伊勢町に近い山あいの集落にあります。
曹洞宗で、本尊は阿弥陀如来。
この阿弥陀如来立像は重文です。
平家の平清盛の四男·知盛は1185年の檀ノ浦の戦いで自害した事になっていますが、自害せずに従者30人と伊勢の船江に上陸し、下宮に一時期かくまわれていたが(平清盛は伊勢平氏の家系であり伊勢にゆかりがあった。)、追っ手により峠を越えてこの地へ来て隠れ住んだ。そして1190年に平家再興の願いと平家一族を弔うために久昌寺を創建したと伝わります。
尚、本尊・阿弥陀如来の内部には1221年作の墨書きがあります。また、阿弥陀如来の前には平知盛の位牌が新旧2つ置いてありました。
こちらの寺院も無住のため檀家さんが護っておられますので、拝観には伊勢市文化政策課に連絡して檀家代表様に取り次いで頂く必要があります。
約束の時刻より少し早く着きましたので、取り敢えず代表様に到着した旨の連絡だけして、周りを散策しましたが、川のせせらぎの音と鳥の鳴き声しか聞こえてきません。物凄く静かです。都会の喧騒に慣れてしまっている者にとっては静か過ぎる位でした。
そうこうしていたら代表様がいらっしゃいました。早速収蔵庫へ案内頂き、阿弥陀如来と対面させて頂きました。
高さ約97cm、衣紋の股にかけてのY字形が綺麗ですし、腕から垂れている部分がとても薄くてシャープです。やや高い所に祀られていますので見上げる感じで少し距離があり、眼がはっきり見えず瞼が腫れぼったい様な感じでした。こちらも好きなだけ写真撮って下さいよと仰有って頂きました。
それから本堂に入らせて頂き、古文書とか説明して頂きました。拝観料500円をお支払し、御朱印をお願いしました。
ここは平家の里と呼ばれていますが、平家の落人伝説は各地にあります。本当なのか、後の世の作り話なのかはわかりませんが、ロマンがあります。
すてき
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nomuten973投稿
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