こんごうしょうじ
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金剛證寺ではいただけません
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金剛證寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月16日(土)
参拝:2020年10月吉日
朝熊岳金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は勝峰山、院号は兜率院。本尊は虚空蔵菩薩。朝熊山経塚出土品が国宝、本堂、木造雨宝童子立像などが国指定の重要文化財。朝熊山経塚群は国の史跡。なお、本尊の「福威智満虚空蔵大菩薩」は、日本三代虚空蔵菩薩の第一位とされる。
創建は6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を建てたのが始まりで、平安時代の825年に空海が真言密教道場として中興したと伝わる。その後衰退したが、室町時代の1392年、鎌倉建長寺5世の仏地禅師・東岳文昱(とうがくぶんいく)が再興し、真言宗から臨済宗に改宗した。
神仏習合時代、当寺が伊勢神宮の丑寅(北東)に位置することから、伊勢神宮の鬼門を守る寺として伊勢信仰と結びつき、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」とされ、神宮の奥之院とも呼ばれ、伊勢志摩最大の寺となった。江戸時代に徳川幕府は伊勢神宮とともに当寺を重視し、現存する本堂は、5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院が修復している。
当寺は、近鉄鳥羽線・朝熊駅の南東4kmの朝熊山の山頂付近にある。車で行くと伊勢志摩スカイライン沿いにあって、伊勢神宮内宮からは道のり9kmほど。昭和時代も観光地として有名だったこともあり、境内は広く、きれいな日本庭園や、立ち並ぶ伽藍など、分かりやすい見どころが多い。
今回は、「朝熊かけねば片参り」の古式に倣って参拝することに。参拝時は週末の午後で、参拝者、観光客は家族連れなどがぱらぱら来ていた。
※授与所の坊主さんに伺ったところ、2010年10月初旬で御朱印の領布は終了したとのこと。代わりにお守りを拝受した。
※境内をぐるっと一周廻ったつもりであったが、実際は倍ぐらいの広さがあり、極楽門、巨大卒塔婆、奥之院などは完全に見逃し...涙
創建は6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を建てたのが始まりで、平安時代の825年に空海が真言密教道場として中興したと伝わる。その後衰退したが、室町時代の1392年、鎌倉建長寺5世の仏地禅師・東岳文昱(とうがくぶんいく)が再興し、真言宗から臨済宗に改宗した。
神仏習合時代、当寺が伊勢神宮の丑寅(北東)に位置することから、伊勢神宮の鬼門を守る寺として伊勢信仰と結びつき、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」とされ、神宮の奥之院とも呼ばれ、伊勢志摩最大の寺となった。江戸時代に徳川幕府は伊勢神宮とともに当寺を重視し、現存する本堂は、5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院が修復している。
当寺は、近鉄鳥羽線・朝熊駅の南東4kmの朝熊山の山頂付近にある。車で行くと伊勢志摩スカイライン沿いにあって、伊勢神宮内宮からは道のり9kmほど。昭和時代も観光地として有名だったこともあり、境内は広く、きれいな日本庭園や、立ち並ぶ伽藍など、分かりやすい見どころが多い。
今回は、「朝熊かけねば片参り」の古式に倣って参拝することに。参拝時は週末の午後で、参拝者、観光客は家族連れなどがぱらぱら来ていた。
※授与所の坊主さんに伺ったところ、2010年10月初旬で御朱印の領布は終了したとのこと。代わりにお守りを拝受した。
※境内をぐるっと一周廻ったつもりであったが、実際は倍ぐらいの広さがあり、極楽門、巨大卒塔婆、奥之院などは完全に見逃し...涙
境内南端入口から、階段上にある<仁王門>を見上げる。
仁王門への階段下右側に安置されている<金佛(阿弥陀佛)>。
威風堂々とした<仁王門>。仁王像もいい表情をしている。
仁王門をくぐり、左前方を望むと<鐘楼>、その後ろに<土産物店併設の茶店>が見える。
仁王門をくぐり、右前方を望むと睡蓮が浮かぶ<連間(つれま)の池>に、太鼓橋<連珠橋>が架かる日本庭園がある。この池は弘法大師が掘ったと伝わる。
こちらが<連珠橋>。実にフォトジェニック。この橋は江戸時代の1672年に浦田織部藤原長次が願主となって創建。此岸(迷いの世界)と彼岸(悟りの世界)を繋ぐ橋。
連珠橋の手前には鳥居が立ち、向こうには<雨宝堂(うほうどう)>が建つ。神仏習合の神像、雨宝童子尊を祀る。この神像は、大日如来の化身である天照大神が日向国に降り立った十六歳の御影を弘法大師が感得して刻んだと伝わり、国指定の重要文化財となっている。
連間の池はかなり広く、見る場所によって表情が変わる。
順路左側にある<観音堂>(かな?)。柱に、<開祖弘法大師>、<南無観音菩薩>と書いてある。
順路左側にある<地蔵堂>(かな?)。本尊の<矢負地蔵尊>は、徳川五代将軍綱吉公の母桂昌院が寄進したもの。
<矢負地蔵尊>は、人の危難を救うためこう呼ばれる。「身代り地蔵さま」とも書かれている。
さらに進むと、順路左側にある<水屋>。
順路右側にある<仏足石>。
階段を登ると、いよいよ<本堂>に辿り着く。
<本堂>は、江戸時代初期の1609年、姫路城主・池田輝政公の寄進により再建。七間六間、一重寄棟造、向拝三間、檜皮葺の堂々たる巨宇。
外部は朱漆、内部は金箔押しで、煌びやかさから<伊勢神宮の奥の院>とも言われる。本尊の福威智満虚空菩薩と天照大神を祀り、神仏習合の形態を継承している。
本堂前にある<福丑>。頭の上に、大黒さまを戴いている。
本堂前にある<智慧寅>。本尊の虚空蔵菩薩の広大な智慧をいただいた寅とのこと。
2020年10月初旬で御朱印は永久に止めたそうです...( ;∀;) 代わりに、「朝熊をかけた」記念にお守りを。
こちらは<開山堂>。草創は暁台上人、開山は弘法大師、中興開山は佛地禅師とある。
伊勢志摩スカイラインの駐車場からの景色。なかなかきれい。
すてき
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惣一郎1269投稿
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