きたくわなそうしゃ・きたくわなじんじゃ
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北桑名総社・北桑名神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月20日(金)
参拝:2024年11月吉日
桑名駅から東へ徒歩で約7分ほどのところに鎮座されています。
鳥居のすぐ奥には神門があり、その先を直角に曲がったところに拝殿があります。
鳥居横には「持統天皇御舊跡」の碑が建っていました。
境内の由緒書に下記のように記されていました。
「壬申の乱(672年)が起こり、大海人皇子(後の天武天皇)は一族を連れて桑名郡家に着き、妻の菟野皇女(後の持統天皇)と幼い草壁皇子を桑名郡家に残し戦場となる不破へと向かわれ、戦いは大海人軍が勝利し桑名の地にもどられました。
この間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが当社であると伝えられています。」
社務所はご不在だったようで、御朱印はいただけませんでした。
<御祭神>
天照大神 鵜葺不合命(神武天皇の父)
高水上命(伊勢の豪族) 須佐之男尊
天児屋根命 持統天皇 大山祇命
<御由緒>
当社は、江戸時代始めより現在地に鎮座し「三崎神明社」とも、「今一色神明社」とも称された今一色の産土神です。
明治41年、太一丸にあった「太一丸神明社」、宝殿町にあった「佐乃富神社」を合祀し「北桑名総社北桑名神社」と改称しました。
昭和12年、古くなった社殿等の大改修がおこなわれ立派な社殿神舎に成りましたが、惜しくも先の大戦で全て焼失しました。
戦後氏子、崇敬者の協賛により本殿拝殿等逐次再建され、今日に至っています。
鳥居のすぐ奥には神門があり、その先を直角に曲がったところに拝殿があります。
鳥居横には「持統天皇御舊跡」の碑が建っていました。
境内の由緒書に下記のように記されていました。
「壬申の乱(672年)が起こり、大海人皇子(後の天武天皇)は一族を連れて桑名郡家に着き、妻の菟野皇女(後の持統天皇)と幼い草壁皇子を桑名郡家に残し戦場となる不破へと向かわれ、戦いは大海人軍が勝利し桑名の地にもどられました。
この間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが当社であると伝えられています。」
社務所はご不在だったようで、御朱印はいただけませんでした。
<御祭神>
天照大神 鵜葺不合命(神武天皇の父)
高水上命(伊勢の豪族) 須佐之男尊
天児屋根命 持統天皇 大山祇命
<御由緒>
当社は、江戸時代始めより現在地に鎮座し「三崎神明社」とも、「今一色神明社」とも称された今一色の産土神です。
明治41年、太一丸にあった「太一丸神明社」、宝殿町にあった「佐乃富神社」を合祀し「北桑名総社北桑名神社」と改称しました。
昭和12年、古くなった社殿等の大改修がおこなわれ立派な社殿神舎に成りましたが、惜しくも先の大戦で全て焼失しました。
戦後氏子、崇敬者の協賛により本殿拝殿等逐次再建され、今日に至っています。
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