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あかすかしんめいしゃ

赤須賀神明社
三重県 西桑名駅

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歴史

祖先市場茂右衛門秀高若干貫にて参河国額田郡市場村を領せしに、永禄4年故あって参河を去り、家臣9人を率いて桑名赤須賀に来住し、家臣をして漁業を営ましむ。永禄6年9月11日参河国の祈願所なる神明社の御霊代を携帯し、赤須賀に奉祭して氏神として尊敬す、是に由て毎年9月11日を以て大祭日となす、維新後は改めて10月11日と定む。例大祭とは別に、桑名市街と同じく石取祭が行われる。桑名藩主松平定綱城郭を広むる為新田を開き漁人を移すとき新田猟師町に神明の社地を設け慶安3年(1650)9月27日移遷奉祭せられる。これより社は厳全たる一大社となりて東野小貝須赤須賀新田大貝須新田の諸村に至るまで尊信敬載されるようになる。昭和9年(1772)2月朔城西三崎の 民家より火を失し延々神明社に至る。消防効を奏せず社祠灰燼に帰す。産子等恐懼描くところを知らず精を凝し力を盡して新殿を経営す。日ならずして或る。安永突巳年 (1773)11月9日遷座奉斎す此のとき古文書焼失して今日に残れるものなし。」 寛政3年(1791)多度より別社一目連神社が勧請され一段と殷賑を極めたが揖斐川改修工事のため明治31年10月現在の地に移遷奉斎された。昭和20年7月17日空襲により全て灰燼に帰したが復興再建され現在に至っている。境外神社東野神社は大字東野一九六番地一に鎮座し祭神は火産霊室神、天津彦根命、大物主神の三社で明治40年12月13日 赤須賀神明社へ合祀したが、昭和29年5月13日分祀独立して現在に至る。
(『三重県神社庁』HPより)

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赤須賀神明社の歴史
赤須賀神明社のその他建物
赤須賀神明社のその他建物
雷井戸(桑名しぐれ蛤の発祥伝説、民話生けどられた雷さま) むかしから桑名の町に、雷(かみなり)さまのきらっているところがある。そこは、赤須賀(あかすか)という漁師町。  ある日、おばあさんが飯を食べていると、にわかに空がかきくもり、ピカッゴロゴロと雷さまがやって来てな、雷さまは、久しぶりに出向いて来たんで、黒い雷雲の上で大あばれしとってな、ところが、乗っていた雲をしっかりつくっていなかったもんで、大きく飛びはねたひょうしに、雲が破れてしもたんや。   ピカピカッドスン  雷さまは、まっさかさまに、おばあさんの家の庭の井戸の中へ落っこちた。 おばあさんは、ふとんをかぶってふるえとったけれど、しばらくすると、庭の方で叫び声が聞こえてきたんやわ。 「助けてくれー。助けてくれー」  おばあさんは、おそるおそるふとんから出て、庭へおりてな。あちこちさがしまわったけれど、だれもおらんかった。 「助けてくれー。助けてくれー」  突然、また声がしてな。おばあさんが耳をそばだてたら、どうやら井戸の中から聞こえてくる。井戸をのぞきこんでみると、まっ赤な体に、トラの皮のふんどしをつけた雷さまが、頭に大きなこぶをつくって、助けを求めとった。おばあさんを見た雷さまは、 「どうか井戸から出してくれー」 と、目をまっ赤にはらしながら頼んだけれど、おばあさんは、 「なにをいう。人の家をなんども焼いて」 と、井戸にふたをして、雷さまをとじこめたんや。すると井戸の中から泣きそうな声が聞こえてきてな。 「もうけっしてここには落ちやせんから、助けてくれ」 「そんならふたを開けてやる。助けてやるから、何か残していけ」 「たいしたものはないが、今朝つくったばかりのへそのつくだ煮ならおいていこう」 雷さまは、へそのつくだ煮をおばあさんにわたしたんやて。おばあさんはそれを一つつまんで、びっくりした。今まで味わったことのない、とろけるようなうまさやったんや。 「こりゃうまい。これ、つくり方を教えていけ。そしたらすぐ出してやる」  雷さまはしかたなく、つくだ煮のつくり方をおばあさんに教えて、逃げ帰ったんやと。  それからというもの、おばあさんは、このつくだ煮をつくって市場で売ろうとしたんやけど、材料である雷さまのへそが手に入らん。そこでおばあさんは、へそに似た蛤(はまぐり)の身をつくだ煮にして売ったんや。そしたら、たいそううまい、と評判がたって大繁盛したんやて。  桑名の蛤は、むかしから「浜の栗」と呼ばれるほど、色やつやがようて、ふっくらとした大きな実でな。雷さまのへそにぴったりやった。しかも、つくだ煮にしたら日持ちがええもんで東海道をいく旅人にもお土産に喜ばれたんやわ。とくに、これから冬を迎える十月の時雨(しぐれ)どきにつくったものがうまい、ということで「しぐれ蛤」と呼ばれてな。これが、有名な「桑名のしぐれ」のはじまりなんやて。 (三重県庁『ふるさとの届けもの 伝えたい三重のおはなし』より)
赤須賀神明社の自然
赤須賀神明社の末社・摂社
赤須賀稲荷社
赤須賀神明社の鳥居
赤須賀稲荷社鳥居
赤須賀神明社の末社・摂社
恵比寿社
赤須賀神明社の末社・摂社
恵比寿社神門
赤須賀神明社の鳥居
恵比寿社鳥居
赤須賀神明社のその他建物
明治18年正月、神馬二体奉納
赤須賀神明社の本殿・本堂
一目連社
赤須賀神明社の本殿・本堂
神明社
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赤須賀神明社の情報

住所三重県桑名市赤須賀1817-1
行き方

交通「桑名」駅下車、市内循環バス「神明社前」下車、徒歩1分

赤須賀神明社の基本情報

名称赤須賀神明社
読み方あかすかしんめいしゃ
参拝時間

参拝/24時間

御朱印あり
限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《合》火之加具土神,市杵島姫命,大国主命,事代主命,須佐之男命,建御雷之男神,《主》天照大御神
ご由緒

祖先市場茂右衛門秀高若干貫にて参河国額田郡市場村を領せしに、永禄4年故あって参河を去り、家臣9人を率いて桑名赤須賀に来住し、家臣をして漁業を営ましむ。永禄6年9月11日参河国の祈願所なる神明社の御霊代を携帯し、赤須賀に奉祭して氏神として尊敬す、是に由て毎年9月11日を以て大祭日となす、維新後は改めて10月11日と定む。例大祭とは別に、桑名市街と同じく石取祭が行われる。桑名藩主松平定綱城郭を広むる為新田を開き漁人を移すとき新田猟師町に神明の社地を設け慶安3年(1650)9月27日移遷奉祭せられる。これより社は厳全たる一大社となりて東野小貝須赤須賀新田大貝須新田の諸村に至るまで尊信敬載されるようになる。昭和9年(1772)2月朔城西三崎の 民家より火を失し延々神明社に至る。消防効を奏せず社祠灰燼に帰す。産子等恐懼描くところを知らず精を凝し力を盡して新殿を経営す。日ならずして或る。安永突巳年 (1773)11月9日遷座奉斎す此のとき古文書焼失して今日に残れるものなし。」 寛政3年(1791)多度より別社一目連神社が勧請され一段と殷賑を極めたが揖斐川改修工事のため明治31年10月現在の地に移遷奉斎された。昭和20年7月17日空襲により全て灰燼に帰したが復興再建され現在に至っている。境外神社東野神社は大字東野一九六番地一に鎮座し祭神は火産霊室神、天津彦根命、大物主神の三社で明治40年12月13日 赤須賀神明社へ合祀したが、昭和29年5月13日分祀独立して現在に至る。
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