じんぐうじ|高野山真言宗
神宮寺のお参りの記録一覧
滋賀県·三重県の寺院巡りの5寺目は、津市の隣の鈴鹿サーキットで有名な鈴鹿市に在る福満山 慈心院 神宮寺です。
高野山真言宗で、本尊は薬師如来。
伝えによれば、730年の光明皇后の発願による施薬院(医療施設)の1つで、伊奈冨神社の敷地内に行基が建立。830年頃に空海が伊勢神宮参詣の折りに立ち寄り、90日間の修行を行ったと伝わります。しかし、戦国時代に織田信長の兵火により焼失、復興がままならず末寺の延命寺と合併し現在地に移りました。(伊奈冨神社から東へ数百m)
1979年に失火により全焼、1982年に再建。文化財は収蔵庫に在ったため難を免れました。
事前に拝観予約してから参りました。
寺院の道路を挟んだ向い側の駐車場に停めて伺うと、丁度ご住職が収蔵庫の扉を開けていらっしゃいました。予約した者と告げると中にどうぞと。
真ん中の厨子には薬師如来立像、厨子の両脇に持国天と多聞天、手前右側には男神坐像。左右の壁際にはガラスケース内に並べられた多数の古文書です。(古文書は達筆過ぎて読めません。)
薬師如来立像(重文)は、高さ81cm、平安時代作、Y字形の衣文が綺麗です。持国天と多聞天(重文)は、高さ約160cm、平安時代作、翻波式衣文が所々にあります。目がギロッとしていて個性的です。男神坐像(県指定文化財)は、高さ72cm、平安時代作、淳和天皇像と伝わります。やや虫食いの跡が痛々しい。これらは伊奈冨神社の菩薩堂に祀られていたもので、神仏分離の際にこちらの神宮寺へ遷されたものです。
収蔵庫を出て本堂へ。須弥壇にはもう1躯の薬師如来坐像。その左側に蛇を咥えた深沙大将(県指定文化財)です。高さ105cm、平安時代作、しかもノミの跡がしっかり残っていますというかわざと残してあると思われます。深沙大将の像は少ないです。記憶にあるのは、岐阜の横蔵寺、京都の金剛院、高野山の霊宝館、奈良の杵築神社、福井の明通寺くらいです。
拝観料300円をお支払いしてから、御朱印を頂きました。
尚、収蔵庫は晴天時のみ拝観可能ですので注意が必要です。(週間天気予報を見てから予約するとか)
御朱印
左上の建物が収蔵庫(写真を撮り忘れました)
山門
鐘楼
庫裏
本堂
薬師如来立像(ネットから転載)
持国天
多聞天
男神坐像
深沙大将
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