おしやまじんじゃ
忍山神社三重県 亀山駅
参拝自由
授与所:午前中のみ神主在中と情報あり
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | 本社の御朱印 | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
伊勢国鈴鹿郡の式内社であり、倭姫命さまが天照大神さまの鎮座地の候補として鎮まっていた「鈴鹿小山宮/忍山宮」の比定地で元伊勢の一つです。元々は物部氏の祖である伊香色雄さまが猿田彦神さまを祀って創建したのが始まりです。また、日本武尊さまの奥さんで神様のために命を捧げた弟橘媛命さまの出身地でもあるようです。
《鳥居と社号碑》
社号碑には社名と「式内」その上には「天照大神御○幸地」と篆書体で刻まれています。
《表参道》
《手水舎》
蛇口式で捻ると水が出ます。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社は忍山神社の比定社であるとともに、同じく式内社の布気神社の論社にも挙げられています。というのも忍山神社は兵火によって焼失し、布気神社へ避難します。しかしその後布気神社と社勢が逆転してしまったそうです。そのため当社の位置が本来の布気神社ではないかということで論社に挙げられるということですね。
といいつつ今の布気皇舘太神社の方でも布気神社は遷座してきたと言われているので、なんか布気神社がすごく不憫に思えますね…
《授与所》
受付は開いていません。前に来ていた方の投稿によれば午前中でないといないそうですね。
《めだか》
《お塚群》
《本殿》
神明造です。
名称 | 忍山神社 |
---|---|
読み方 | おしやまじんじゃ |
通称 | 白髭大明神 |
参拝時間 | 参拝自由
|
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0595-83-3756 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://oshiyamazinja2.jimdofree.com/ |
ご祭神 | ,《主祭神》 猿田比古命 《配祀神》 天照皇大神 太玉命 天児屋根命 《合祀神》 倭姫命 天照皇大神荒魂 大比古命 乙若子命 大若子命 天鈿女命 大山祇命 豊宇賀乃売命 神吾田鹿葦津姫命 饒速日命 大水口宿禰 忍山宿禰 建速須佐之男命 大名牟遅命 伊弉諾神 伊弉冉神 木花開耶姫神 市杵島姫命 菅原道真 伊香我色雄命 |
---|---|
ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 崇神天皇七年(紀元前91年頃) |
創始者 | 伊香色雄 |
本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 醍醐天皇延喜5年(905)勅命により撰修された「延喜式」神名帳に登録された式内社である。明治41年村社能牟良神社他近隣の20社を合祀。崇神天皇7年(紀元前91年)の御代に勅命をもって伊香我色雄命に猿田彦命を鎮座せしめられた。伊香我色雄命の子、大水口宿祢の子孫80代相継いで神主となり明治に至る。垂仁天皇御代に皇女倭姫命がご案内役となって天照皇大神の鎮座の地を求めて大和の国から忍山に御遷幸になり半年御鎮座されたその跡をかしこんで大神を奉祀した。景行天皇御代に王子日本武尊は東征に際し忍山神社に立ち寄られ神主忍山宿祢の長女弟橘媛を妃とされ媛は東征に従われ相模の海が海神の怒りで荒れたため入水してその怒りを鎮められたと伝承されている。大正天皇6年10月鎮座2000年祭が斎行された。毎年10月の例祭には荒魂をなぐさめる為傘鉾が町内巡行される。昭和27年亀山市指定文化財(無形民俗文化財)に指定。
|
体験 | 祈祷おみくじ絵馬七五三御朱印お守り祭り札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 忍山神社(おしやまじんじゃ)は、三重県亀山市野村四丁目4-65にある神社。式内社。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 古代[編集] 弟橘姫命 伝承によれば、紀元前91年(崇神天皇7年)に物部氏の祖である伊香色雄が勅命を受けて猿田彦命を鎮座し、伊香我色の子である大水口宿禰の子孫が明治時代に入るまで80代にわたって神主を務めた[1]。また、垂仁天皇の皇女・倭姫命が忍山に遷幸した際に半年滞在した跡をかしこみ天照大神を奉った[1]。 また、当地は、弟橘姫命の生誕の地として知られる[2]。弟橘姫命は神主・忍山宿祢の長女で、景行天皇の王子ヤマトタケルの妻。ヤマトタケルが東征にあたって当地に立ち寄った際にその妻となり、東征に同道して、相模の海が海神の怒りに触れて嵐となった際に入水して鎮めたという[1]...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] JR関西本線亀山駅から徒歩25分 |
行事 | 神事[編集] 秋の例祭の神事に、1952年(昭和27年)12月には亀山市無形民俗文化財に指定された「傘鉾」巡行がある[1]。祭神の一柱である須佐之男命の荒魂を鎮めるために古くからおこなわれていた神事で[1]、毎年10月14日の例祭日、傘鉾と呼ばれる巨大な傘状の山車が、太鼓を打ち鳴らしながら隊列を組み、町内を巡行する[2][3]。 巡行の始点は旧東海道の京口坂で、最初西進し、野村一里塚で折り返して北に向かい、野村町を巡って終点が忍山神社である[3]。3本の傘鉾は毎年氏子らによって新調され、16等分に割った真竹に赤・青・白・黄・緑の五色の色紙が貼られて仕上げられる[2][4]。この色紙は巡行...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「忍山神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%8D%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99448161 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
8
0