ちょうでんじ
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朝田寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年06月26日(月)
参拝:2023年5月吉日
今回は三重県の寺院巡りです。先ず1寺目は、松阪牛で有名な松阪市に在る光福山 延命院 朝田寺(ちょうでんじ)です。
花の寺として有名らしく、牡丹、紫陽花、蓮の花が綺麗との事です。
天台宗で、本尊は地蔵菩薩。
この本尊・地蔵菩薩立像は重文で、他に所蔵の僧形坐像は県指定文化財です。
こちらは観光寺院ではなく、法事等の場合は拝観が出来ないため、事前に拝観予約するのが宜しいかと思います。(過去数回予約を試みましたが、土日は法事等に重なりNGで、今回縁あって伺う事ができました。)
770年にこの地の豪族の練公長者は地蔵菩薩を篤く信仰していた。ある日、川を遡る霊木を見付け、館に運び入れで日夜拝んでいた。807年に弘法大師空海が伊勢神宮へ参拝した際に朝熊山の雨宝童子の導きによりこの長者宅を訪れ、その霊木を刻んだと伝わります。これにより練公長者を開基、弘法大師空海を開祖としています。その後、月日が経ち1569年に織田信長の伊勢平定の兵火により焼失。元亀年間(1570~73年)に現在地に移り曹洞宗とした。1652年に本堂を建立し、天台宗に改宗。それ以降諸堂を建立して伽藍を整えた。1666年建立の観音堂は1946年に倒壊、1750年建立の弥勒堂は老朽化により平成21年に取り壊しとなり、そこに鐘楼を移築しました。
訪れた日も10時から法事との事で、9時に伺うために東名阪自動車道をひた走り時刻通りに到着。山門横の駐車スペースに停めさせて頂きました。
山門をくぐると正面に本堂、左側に手水、地蔵堂?、鐘楼、その奥に蓮の池があって真ん中の島に弁財天。右側には書院、庫裏です。その右側には牡丹庭園の「萬祥苑があります。」(時期的に牡丹の花は終わっていて、紫陽花は咲き始めでした。)
庫裏へ行って拝観予約した者と伝えてから本堂へ。右側へ回り込んで、靴を脱いで内陣に入らせて頂きました。先ずは本尊に手を合わせましたが、多数の着物や服がぶら下がっていて、何か異様な雰囲気。ご住職にお聞きすると「道明供養の掛衣(かけえ)」と言って、この地域では葬儀が終わると故人の衣類を地蔵菩薩の前に1着掛けて、地蔵盆にその衣類を遺族が焼いて極楽浄土へ送るとの事です。生まれて初めて聞く風習でした。
須弥壇の左側に賓頭盧尊者像(と思っていた)、真ん中の厨子に本尊・地蔵菩薩立像。高さ約169cm、カヤの一木造りで平安時代前期の作。口を一文字に結び、恐い感じ。襞も力強く彫られています。堂内がやや暗いためか、まさに仏の霊威を感じました。
本堂の横の脇堂にもご案内頂きました。今は無き観音堂と弥勒堂に安置してあった仏像等が安置してあります。本尊の模刻像や観音像、破損仏が所狭しと並んで壮観。残念ながら、撮影禁止で、且つ、ネットにも出ていないので詳細は頭に入っておりません。真面目に調査すればそれなりの文化財に指定されると思われます。
県指定文化財の僧形坐像が見当たらないためご住職にお聞きしたら、須弥壇左側の賓頭盧尊者像と思っていた像が僧形坐像との事で、再度本堂に戻りじっくりと拝観しました。
最後に拝観料(300円)を納めて、御朱印を頂きました。
花の寺として有名らしく、牡丹、紫陽花、蓮の花が綺麗との事です。
天台宗で、本尊は地蔵菩薩。
この本尊・地蔵菩薩立像は重文で、他に所蔵の僧形坐像は県指定文化財です。
こちらは観光寺院ではなく、法事等の場合は拝観が出来ないため、事前に拝観予約するのが宜しいかと思います。(過去数回予約を試みましたが、土日は法事等に重なりNGで、今回縁あって伺う事ができました。)
770年にこの地の豪族の練公長者は地蔵菩薩を篤く信仰していた。ある日、川を遡る霊木を見付け、館に運び入れで日夜拝んでいた。807年に弘法大師空海が伊勢神宮へ参拝した際に朝熊山の雨宝童子の導きによりこの長者宅を訪れ、その霊木を刻んだと伝わります。これにより練公長者を開基、弘法大師空海を開祖としています。その後、月日が経ち1569年に織田信長の伊勢平定の兵火により焼失。元亀年間(1570~73年)に現在地に移り曹洞宗とした。1652年に本堂を建立し、天台宗に改宗。それ以降諸堂を建立して伽藍を整えた。1666年建立の観音堂は1946年に倒壊、1750年建立の弥勒堂は老朽化により平成21年に取り壊しとなり、そこに鐘楼を移築しました。
訪れた日も10時から法事との事で、9時に伺うために東名阪自動車道をひた走り時刻通りに到着。山門横の駐車スペースに停めさせて頂きました。
山門をくぐると正面に本堂、左側に手水、地蔵堂?、鐘楼、その奥に蓮の池があって真ん中の島に弁財天。右側には書院、庫裏です。その右側には牡丹庭園の「萬祥苑があります。」(時期的に牡丹の花は終わっていて、紫陽花は咲き始めでした。)
庫裏へ行って拝観予約した者と伝えてから本堂へ。右側へ回り込んで、靴を脱いで内陣に入らせて頂きました。先ずは本尊に手を合わせましたが、多数の着物や服がぶら下がっていて、何か異様な雰囲気。ご住職にお聞きすると「道明供養の掛衣(かけえ)」と言って、この地域では葬儀が終わると故人の衣類を地蔵菩薩の前に1着掛けて、地蔵盆にその衣類を遺族が焼いて極楽浄土へ送るとの事です。生まれて初めて聞く風習でした。
須弥壇の左側に賓頭盧尊者像(と思っていた)、真ん中の厨子に本尊・地蔵菩薩立像。高さ約169cm、カヤの一木造りで平安時代前期の作。口を一文字に結び、恐い感じ。襞も力強く彫られています。堂内がやや暗いためか、まさに仏の霊威を感じました。
本堂の横の脇堂にもご案内頂きました。今は無き観音堂と弥勒堂に安置してあった仏像等が安置してあります。本尊の模刻像や観音像、破損仏が所狭しと並んで壮観。残念ながら、撮影禁止で、且つ、ネットにも出ていないので詳細は頭に入っておりません。真面目に調査すればそれなりの文化財に指定されると思われます。
県指定文化財の僧形坐像が見当たらないためご住職にお聞きしたら、須弥壇左側の賓頭盧尊者像と思っていた像が僧形坐像との事で、再度本堂に戻りじっくりと拝観しました。
最後に拝観料(300円)を納めて、御朱印を頂きました。
すてき
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nomuten1057投稿
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