浄土宗三縁山
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今回は三重県松阪市と津市の寺院巡りです。
1寺目は、松阪市中町に在る三縁山 信阿院 清光寺です。
浄土宗知恩院派で、本尊は阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来坐像は重文で、脇侍の観音菩薩坐像・勢至菩薩坐像は市指定文化財でしたが、2024年に勢至菩薩坐像が重文に、観音菩薩坐像が重文の附(つけたり)指定となりました。
2023年5月に訪れましたが、ご不在の様で拝観出来ず、今回は松阪市教育委員会にご住職の連絡先を教えて頂き、拝観予約してから伺いました。(前回分は投稿済みですので宜しかったら見てやって下さい。)
ご住職から「阿弥陀三尊像は今年の5月から約2年間の修復を行うため不在となる」とお聞きし、ギリ間に合いました。
ーーー後日アップします。
参道
山門
境内
経蔵?
松阪忠霊十三塔
鐘楼
本堂
阿弥陀三尊像(重文)
庫裏
鎮守社

🌼清光寺(せいこうじ) に参拝させて頂きました。🌸当寺院の創建は天平21年(749)に行基菩薩によって開かれたのが始まりと伝えられています。🍁当初は神光寺と称し真言宗の寺院でしたが大永3年(1523)、察道和尚が再興し寺号を無量覚院に改称し浄土宗に改宗しています。🌹開山は超誉察道上人、もと神光寺といい行基の開基と伝えられ、のち真言宗の寺として松ケ島にあったものを、大永3年察道上人が浄土宗に改宗しました。☘️天正年閻、津川玄蕃・蒲生氏郷両氏の菩提所となるり、元和年問、徳川頼宣の帰依にて現在地に移転しました。🌺正徳3年、祐天上人より小字の名号を賜り、諸人を勧化したところ、この数50万人に及んだといわれています。🌸祐天堂はこの頃に建立。寛政12年、中興徴誉信問上人、山城の誓願寺より当寺に移住、その後20年間四衆化導にあたられました。🌼本尊阿弥陀如来座像は国宝、観音・勢至両菩薩像は市の文化財となっています。
👣所在地 : 三重県松阪市中町2023
🌷「pieceピース cafe&store」 米蔵をリノベーションした古民家カフェで、おしゃれなCafeです。入口は間口せまいのでCafeはなさそうですが奥にあります。入口は手づくりパン🥐、次奥入ると雑貨屋さん、奥いくとCafe☕️です。のんびりくつろげます。パンや雑貨もおいてあります。中は木のインテリア🪑で落ち着いた内装。平日の日中に行きましたが、席数の割にほかのお客さんが少なく、とても落ち着いた雰囲気でした。軽い昼食を思い、アボチー(塩パンにアボカドとチーズが挟んであるのかな)とアメリカン☕️を注文しました。塩あじがきいたパンに穏やかな味の具があっていておいしかったです。ご馳走様でした🙏🌷
御朱印 清光寺(せいこうじ)
所用で近くに行ったので寄らせていただきました。
創建は天平21年(749)に行基菩薩によって開かれたのが始まりと伝えられています。当初は神光寺と称し真言宗の寺院でしたが、大永3年(1523)、察道和尚が再興し寺号を無量覚院に改称し浄土宗に改宗しています。
本尊の木造阿弥陀如来坐像は明治45年に重要文化財(彫刻)に指定されました。本堂中央に阿弥陀如来、向かって右に蓮台を捧げる観音菩薩、左に棒状の持物を執る勢至菩薩を安置し、死者を迎える来迎形の阿弥陀三尊を構成しています。勢至菩薩は阿弥陀如来と作風や表面仕上げが共通することから、阿弥陀如来と同じく平安時代後期の制作と考えられ、重要文化財に追加指定されました。観音菩薩は勢至菩薩に倣って江戸時代に補作されたと考えられ、三尊の一体として伝来し調和が図られていることから附指定されました。
この3軀の仏像は、明治時代に清光寺の本堂が焼失した後、明治44年に本堂が再建される際に京都からもたらされたと伝わっています。
境内・文化財
名称 | 清光寺 |
---|---|
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
電話番号 | 0598-21-0434 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来(国重文) |
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山号 | 三縁山 |
院号 | 信阿院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
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