じょうがんじ|天台真盛宗|慧命山
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楽しみ方成願寺のお参りの記録一覧

津市白山町に有る天台真盛宗のお寺です。
室町時代後期の天台宗の僧、真盛上人(しんぜいしょうにん)が51歳になった年の秋、三重県津市一志町大仰(おおのき)の「成福寺」にある両親の墓参りの後、伊勢の国司 北畠材親(きたばたけ きちか)の武将で小倭(おやまと)の城主であった新長門守(にいながとのかみ)のお城に立ち寄り説法されました。その説法を聞かれた新長門守はすごく感激され、弟子になられ「新九法師」の法名をいただき、戦で亡くなった息子「経成(つねなり)」菩提のため一寺を建立されることなり、明応3年(1494)経成のための願い寺という意味で「成願寺(じょうがんじ)」と命名されたようです。


寺号標

文化財の説明板

成願寺境内図

仁王門?

何故か仁王像ではなく、右手に地藏立像

左手には不動明王像の石仏です
元はどんな姿で並んでいたのでしょう??それにしても地蔵と不動明王、それも石仏の迎えてくれる山門は珍しいです

慧命山の扁額

本堂

観音堂

鐘楼


宝珠丸(宗祖真盛上人幼形像)

納骨堂


三重県寺院巡りの2寺目は、津市白山町に在る慧命山 発心院 成願寺です。
天台真盛宗の中本山で、本尊は阿弥陀如来。
この本尊の阿弥陀如来倚像は重文で、宝物殿に安置されています。倚像とは腰掛けているスタイルの像になります。(倚像は少ないです。)
1494年に伊勢国司の北畠材親(きちか)の武将で小倭郷上ノ村の城主であった新長門守が子息や一族の菩提を弔うため発願し、慈摂大師真盛上人を迎えて創建。その後の1584年に豊臣秀吉と織田信雄の対立により秀吉に味方した蒲生氏郷の攻撃を受け、その兵火により全山焼失。なかなか復興が進まず、130年後の1715年に本堂が再建された。
山門前に川があるため橋が架かっていて、その横に4台程度停めれる駐車場があります。また境内東側にも10台位停めれます。(裏門あり)
橋を渡ると山門で、仁王像ではなく地蔵菩薩と不動明王の石仏とは珍しい。山門をくぐると正面に立派な本堂、右側に観音堂、その奥に鐘楼。更に奥には庫裏があります。
庫裏の入口に貼り紙がしてあるのが見えたので行ってみたら、コロナ禍のため拝観/御朱印は
対応中止との事。残業ですが、仕方ないですね。また日を改めて参拝しようと思います。


山門



多宝塔

観音堂

鐘楼

本堂

阿弥陀如来倚像(ネットより転載)

庫裏

拝観、御朱印は現在コロナ禍のため対応中止

真盛上人幼形像

納骨堂


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