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いせのくに してんのうじ|曹洞宗塔世山

伊勢の国 四天王寺の境内・文化財
公式三重県 津駅

文化財

聖徳太子像(重要文化財)
薬師如来像(重要文化財)
山門(市の有形文化財)

境内詳細情報

伊勢の国 四天王寺の寺宝

聖徳太子像

聖徳太子16才の像。
父である用明天皇の病気平癒を願う様子を描いたものです。

制作:鎌倉時代
技法:絹本着色
大きさ:112×39.5cm

薬師如来像

ヒノキの一木造りで、1077(承保4)年に仏師定朝により造られたものです。

胎内には、当時の寺領を記した文書や、像を造る費用の寄進者名を書いた紙片や扇、櫛、鏡、など25点が納められていました。
これら納入品は江戸時代に取り出されて、現在は別に保存されています。

像高:65cm
技法:一木割矧造、彫眼、漆箔

伊勢の国 四天王寺の建築物

山門

山門は、江戸時代の1646(寛永18)年に建立されました。

四脚門(しきゃくもん)という本柱の前後に控柱を2本ずつ、左右合わせて4本立てた建築様式で造られています。
装飾的な彫刻が少なく彫りが浅いという江戸初期の特徴がよくあらわれています。

市の指定有形文化財です。

鐘楼

古来の鐘は関ヶ原の乱のとき、津城を攻める石田三成軍によって、鉄砲の弾にするために溶かされてしまいました。

現在の鐘は1680(延宝8)年につくられたものです。

本堂

太平洋戦争時の空襲によって、伊勢の国 四天王寺は山門と鐘楼以外を焼失してしまいました。

現在の本堂は、52世の密禅定行和尚が托鉢行によって再建したものです。

偉人のお墓

花屋寿栄禅尼(織田信長の生母)の墓

織田信長の生母は、土田御前(どたごぜん・つちだごぜん)の名で知られています。
法名は花屋寿栄禅尼(かおくじゅえいぜんに)です。

織田信秀の継室となり、信長・信行・秀孝・信包・お市・お犬を生みました。(※諸説あります)

うつけ者と呼ばれ評判の悪い信長を嫌い、弟の信行を可愛がったといわれています。

本能寺の変の後は津城の信包を頼り、晩年を津で過ごしました。

久芳院(藤堂高虎の正室)の墓

藤堂高虎の正室は、足利氏の子孫である一色氏の生まれと伝わります。
法名の久芳院殿桂月貞昌大姉から、久芳院と呼ばれます。

夫の藤堂高虎は、7度も主人を変えたことや、築城の名人として有名な戦国武将です。
関ヶ原の戦いと大坂の陣では徳川家康に味方し、伊賀や伊勢を与えられ、津城に入ります。

1616(元和2)年、津城で亡くなった久芳院は四天王寺に葬られました。
藤堂高虎は愛妻家であり、四天王寺には2人の肖像画や、菩提供養の想いのこもった文書が残されています。

芭蕉翁文塚

1737(元文2)年、津の俳人である二日坊宗雨(菊地宗雨)によって建立されました。
全国の芭蕉文塚のなかで18番目の古さといわれます。

文塚とは、詩文などの草稿を埋めて供養や記念のために建てた塚のこと。
芭蕉文塚は句碑に先行するもので、全国的にも希少です。

斎藤拙堂の墓

斎藤拙堂(せつどう)は、江戸後期の儒学者です。

1797(寛政9)年、江戸柳原の津藩邸で生まれました。
江戸幕府直轄の学校である昌平坂学問所で学び、津藩校 有造館の学職や、津藩主 藤堂高猷 (とうどうたかゆき)の教育係を務めます。

欧米に対抗するには進んだ西洋の学問の習得が不可欠と考え、洋学や種痘の採用と普及に努めました。
津藩の優秀な人材に洋学を学ばせるため、自身の書を売ることで費用を捻出し、長崎に留学させたといいます。
また、種痘(天然痘の予防接種)に対する人々の不安を解消するため、最初に自身の孫娘に種痘の安全性を示したそうです。

1859(安政6)年に有造館を退官したあとは鳥居町(四天王寺の近く)に山荘を構え、文人たちと交流して過ごしました。
1865(慶応元)年7月15日、69歳で亡くなり、四天王寺に埋葬されています。

堀江鍬次郎の墓

堀江鍬次郎(くわじろう)は、日本写真史上の重要人物です。

1831(天保2)年、江戸染井の津藩邸で生まれました。

斎藤拙堂の尽力で長崎に留学した津藩士の1人で、西洋の化学を学び、学友の上野彦馬とともに写真術の研究をはじめます。
当時は写真に使う薬剤を自分で作らなければならず、牛の血や骨から作った青酸カリやアンモニアを使っていました。

1861(文久1)年、津藩主 藤堂高猷(たかゆき) の援助を受け、フランスから最新の写真機材と感材用の薬品を取り寄せ、江戸の津藩邸で藤堂高猷の撮影を成功させます。

津藩校 有造館の蘭学教頭を務め、上野彦馬とともに化学解説書『舎密局必携』を著すなど、化学や写真術の普及に尽力しましたが、1866(慶応2)年に35歳の若さで亡くなりました。
遺言により鍬次郎の亡骸は、恩師斎藤拙堂家の墓地の一角に葬られています。

伊勢の国 四天王寺の境内・文化財の写真一覧

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