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津八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月16日(日)
参拝:2021年4月吉日
津八幡宮は、三重県津市にある神社。旧社格は県社。御祭神は応神天皇、神功皇后、住吉大神、藤堂高虎公。明治以前は単に「八幡宮」と称したが、明治期に神祇制度改革で「八幡神社」と改称。平成期に「津八幡宮」と改称した。
社伝によると、創建は建武年中(1332年頃)、京都・石清水八幡宮の御分霊を千歳山に勧請。伊勢国初の八幡宮となったとしている。江戸初期の1632年に津藩2代藩主・藤堂高次が当社を千歳山から現在地に遷座すると同時に、藩祖・藤堂高虎の御霊を合祀し、社領を寄進、城下の総氏神とした。1635年から当社の氏神祭として「津まつり」が始まり、現在まで380年以上続いている。
1869年に第11代津藩主・藤堂高猷が、戊辰戦争で戦死した藩士の霊を祀る小祠「表忠社」を当社境内に建てたが、明治政府の政策によりJR津駅前に移転し<三重県護国神社>と改称した。
当社は、JR紀勢本線・津駅、近鉄名古屋線・津駅の南方5kmに位置していて、公共交通機関だと国道23号線上にある垂水北町バス停から徒歩10分。別表神社の結城神社と敷地が隣接している。境内は広いが多くの部分が鬱蒼とした林で、建物としては大きな社殿があるぐらい。
別表神社の結城神社と境内が隣り合わせであったので、せっかくなので参拝してみることに。参拝時は平日の昼ごろで、立地が街中から離れていることと、ときどきザーっと雨が降るあいにくの天気ということもあって、他の参拝者は一人だけだった。
社伝によると、創建は建武年中(1332年頃)、京都・石清水八幡宮の御分霊を千歳山に勧請。伊勢国初の八幡宮となったとしている。江戸初期の1632年に津藩2代藩主・藤堂高次が当社を千歳山から現在地に遷座すると同時に、藩祖・藤堂高虎の御霊を合祀し、社領を寄進、城下の総氏神とした。1635年から当社の氏神祭として「津まつり」が始まり、現在まで380年以上続いている。
1869年に第11代津藩主・藤堂高猷が、戊辰戦争で戦死した藩士の霊を祀る小祠「表忠社」を当社境内に建てたが、明治政府の政策によりJR津駅前に移転し<三重県護国神社>と改称した。
当社は、JR紀勢本線・津駅、近鉄名古屋線・津駅の南方5kmに位置していて、公共交通機関だと国道23号線上にある垂水北町バス停から徒歩10分。別表神社の結城神社と敷地が隣接している。境内は広いが多くの部分が鬱蒼とした林で、建物としては大きな社殿があるぐらい。
別表神社の結城神社と境内が隣り合わせであったので、せっかくなので参拝してみることに。参拝時は平日の昼ごろで、立地が街中から離れていることと、ときどきザーっと雨が降るあいにくの天気ということもあって、他の参拝者は一人だけだった。
境内の南西門にある案内板。
境内南側にある鳥居。ここから長い参道が続く。
境内全景。正面に<社殿>、右手に<手水舎>のみのシンプルな境内。
境内右手にある<手水舎>。
拝殿全景。鉄筋コンクリートの頑丈な庇。
拝殿正面。木材とガラスのうまく組み合わせて、現代的でも神秘的な雰囲気。
拝殿の右側にある<授与所>。御朱印はこちら。
拝殿後方の幣殿、本殿はコンクリート一体型。
社殿の左側にある石群。「大山神」と書かれた石柱の周りに「山神」と書かれた丸石がたくさん。
社殿の左側にある祠。特に表札や説明書きはなかったが、御神木の下にあったので御神木の祠かな?
すてき
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惣一郎1269投稿
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