こんごうじ|臨済宗天龍寺派|福寿山
金剛寺のお参りの記録一覧
駐車🅿️🚗場ありますが、道幅が非常に狭いです。御朱印は奥様に対応して頂きました😉綺麗な本堂でした。帰る時に、飴を頂きました😃ありがとうございました🙇
直書き御朱印です。
お寺の入り口です。
山門です。
本堂です。
本堂内です。
とても有名な穴太寺のすぐ近くにあるお寺です。
以前穴太寺をお参りした際 カーナビのマップで近くに寺社があることが分かりましたので 日を改めてお参りしました。
有り難いことに駐車場があります。
扉が開いていて境内には入れたものの どなたともお会いできず お話は伺えませんでした。
本堂の戸は閉まっており 何となく遠慮したほうがよさそうな雰囲気で 建物の中に入ってのお参りはできませんでした。
山号は福寿山
宗旨宗派は臨済宗天龍寺派
ご本尊は釈迦牟尼仏
です。
お寺の紹介については ご住職がHPで紹介してくださっているので 借稿します。
当寺は、江戸時代を代表する画家圓山応挙と所縁が深いことから「応挙寺」とも呼ばれています。
応挙は、1733(享保18)年、この村の農家の次男として生まれ、幼少時期(8歳〜15歳頃)に金剛寺で小僧生活をおくりましたが、絵を描くことを好み、また類まれな才能により当時の住職玉堂和尚に勧められ、京都に出て絵を勉強しました。応挙は、既成概念に囚われない斬新な発想で、従来にはなかった写生や遠近法を採り入れ画家として大成しますが、1788(天明8)年応挙56歳のとき両親の追善供養と幼少時代の感謝を込め、本堂全面の襖と壁面56面に「山水図」「波濤図」「群仙図」を描き寄進しました。
現在これらの作品は、国の重要文化財に指定され、掛軸に改装して保管しています。また最近、応挙が玉堂和尚の思い出を描いた掛軸や、応挙が父親の年忌法要を依頼した手紙も発見、応挙と当寺の深い繋がりを裏付ける品として注目されています。
「山水図」「波濤図」は、東京国立博物館に寄託、「群仙図」は収蔵庫に保管、毎年 11 月 3 日「文化の日」に一般公開をしています。
日常は、本堂に「波濤図」の内12襖と「群仙図」の内2襖を復元し、皆様にご覧いただいています。(ただし、事前に要連絡)
これはぜひ予約をして 再びお参りしたいと思いました。
立派な山門
石柱
由緒書
大願成就の碑
本堂
穴太寺さんのお参りを終え、地図に従い金剛寺さんへ。歩いて10数分。
山号:福寿山
宗派:臨済宗天龍寺派
御本尊:釈迦牟尼
創建:1289年(天応2年)
山門
ご本堂
きれいに整備された境内。御朱印をいただくには、事前に連絡が必要のようです。戸が閉まっていて、今回は、御朱印いただけませんでした。
円山応挙ゆかりのお寺「金剛寺」
穴太寺から京都r407を北へ進み、犬飼川を抜け、ぎゅうぎゅうに詰められたような住宅街の中。小幡神社の駐車場から楼門が見える。
駐車場わからん。
石柱「金剛禅寺」の横の参道を進み、立派な楼門。
楼門横に由緒書きと応挙の画がある。
楼門をくぐると正面が本堂、観音像。左手にお地蔵さんと蔵と墓地、右手にお家。
楼門に対して本堂は最近っぽい。
江戸時代の画家・円山応挙がここ金剛寺に入門していたが、和尚さんから画才が認められて京都に行ってしまう間修行した地。
円山応挙の作品が多数あるが今では博物館とかで保管されてるそうです。
円山応挙はこの穴太の出身で、穴太寺からちょっと行ったところが出身地。
そのためか、この辺の人の名字は「円山さん」か「丸山さん」が多いそうです。。。というのをすぐ近くの真福寺の元住職に聞いた。
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