じさいいん
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楽しみ方慈済院のお参りの記録(2回目)
投稿日:2026年03月17日(火) 22時12分57秒
参拝:2026年2月吉日
慈済院は京都市右京区にある天龍寺塔頭寺院です。
松巌寺の東側にあります。
山門には柵があって中にはいることはできません。
ですが 来福門(山門の東側)は開いていて 弁天堂には参拝できます。
七福神巡りの節分には参拝者が多いことが分かりますが この日もけっこう参拝者はいらっしゃいました。
やはりお堂を拝観できるというのが嬉しいところです。
お堂には天井絵があり 新しい感じがしますが 龍の図は睨みを効かしていて迫力があります。
お堂には書置きの御朱印が用意されていて こちらで拝受できました。
弁天様は拝顔できませんでした。
ネット情報です。
天龍寺の総門をくぐって参道を進んだ右手にあり 瓦を塗り込めた素朴な味わいのある土壁と 弁財天を祀る弁天堂の入口門で白壁に唐様の優美な形をしたまるで竜宮城のような「来福門」が参拝者の目を引きつけます。
南北朝時代の1363年に天龍寺第2世・無極志玄(むごくしげん)が創建。
無極志玄は後鳥羽天皇の第3皇子で「承久の乱」で敗れて佐渡に流されたことで知られる第84代・順徳天皇の曾孫で 西隣にある天龍寺塔頭の松巌寺を創建した四辻善成の兄にあたり 南洲宏海の元で出家して東福寺の無為昭元に学んだ後 鎌倉・円覚寺で天龍寺開山・夢窓疎石に師事し その法を嗣いで天龍寺2世となった人物です。
当初は現在地の南東 京都市右京区嵯峨柳田町に鎮座する斎明神社の南にありましたが 江戸初期の寛永年間に焼失し天龍寺境内に移ると その後は荒廃・焼失と再建を繰り返し 明治初期の1872年に塔頭・福寿院を合併し現在に至っています。
天龍寺第2世の塔所ということもあって立派な建物が多く また1864年の「禁門の変(蛤御門の変)」による天龍寺の大火を免れたことから室町期や江戸期の古い建築様式の建物が多く残っており 表門・庫裏・玄関廊・本堂が2016年に国の登録有形文化財に登録されています。
また「弁天堂」に祀られている「水槢福寿台弁財天」は 夢窓疎石が霊感によって法力信念を籠め一刀参礼をもって彫刻し 後生利益のために当院の開山・無極志玄に授与したもので 香水をもって浄写した尊影を「巳成金の日」の大祭に抽籤により信者に授与していたことから「水摺福壽大辨財天」と通称されていて 現在も「天龍寺七福神」の弁財天として毎年2月3日の節分・天龍寺七福神めぐりの日には多くの参拝者が訪れて賑わいます。
その他にも弁天堂の天井に描かれている日本画家・里見米菴の筆による龍図も見逃せない所です。
松巌寺の東側にあります。
山門には柵があって中にはいることはできません。
ですが 来福門(山門の東側)は開いていて 弁天堂には参拝できます。
七福神巡りの節分には参拝者が多いことが分かりますが この日もけっこう参拝者はいらっしゃいました。
やはりお堂を拝観できるというのが嬉しいところです。
お堂には天井絵があり 新しい感じがしますが 龍の図は睨みを効かしていて迫力があります。
お堂には書置きの御朱印が用意されていて こちらで拝受できました。
弁天様は拝顔できませんでした。
ネット情報です。
天龍寺の総門をくぐって参道を進んだ右手にあり 瓦を塗り込めた素朴な味わいのある土壁と 弁財天を祀る弁天堂の入口門で白壁に唐様の優美な形をしたまるで竜宮城のような「来福門」が参拝者の目を引きつけます。
南北朝時代の1363年に天龍寺第2世・無極志玄(むごくしげん)が創建。
無極志玄は後鳥羽天皇の第3皇子で「承久の乱」で敗れて佐渡に流されたことで知られる第84代・順徳天皇の曾孫で 西隣にある天龍寺塔頭の松巌寺を創建した四辻善成の兄にあたり 南洲宏海の元で出家して東福寺の無為昭元に学んだ後 鎌倉・円覚寺で天龍寺開山・夢窓疎石に師事し その法を嗣いで天龍寺2世となった人物です。
当初は現在地の南東 京都市右京区嵯峨柳田町に鎮座する斎明神社の南にありましたが 江戸初期の寛永年間に焼失し天龍寺境内に移ると その後は荒廃・焼失と再建を繰り返し 明治初期の1872年に塔頭・福寿院を合併し現在に至っています。
天龍寺第2世の塔所ということもあって立派な建物が多く また1864年の「禁門の変(蛤御門の変)」による天龍寺の大火を免れたことから室町期や江戸期の古い建築様式の建物が多く残っており 表門・庫裏・玄関廊・本堂が2016年に国の登録有形文化財に登録されています。
また「弁天堂」に祀られている「水槢福寿台弁財天」は 夢窓疎石が霊感によって法力信念を籠め一刀参礼をもって彫刻し 後生利益のために当院の開山・無極志玄に授与したもので 香水をもって浄写した尊影を「巳成金の日」の大祭に抽籤により信者に授与していたことから「水摺福壽大辨財天」と通称されていて 現在も「天龍寺七福神」の弁財天として毎年2月3日の節分・天龍寺七福神めぐりの日には多くの参拝者が訪れて賑わいます。
その他にも弁天堂の天井に描かれている日本画家・里見米菴の筆による龍図も見逃せない所です。

山門には柵がありました

寺号標

境内の様子 奥に本堂

水摺大辨財天の由緒書

来福門は開いていました

使われていない手水舎

弁天堂前のお庭

弁天堂

書置き御朱印がありました

天井絵は龍

新しい感じです

日本画家・里見米菴の筆による

拝顔はできませんでした

書院前のお庭
すてき
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くるくるきよせん3284投稿
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