だいかくじ
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楽しみ方大覚寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年10月15日(日) 05時48分05秒
参拝:2004年10月吉日
皆さんの記事を読んでいて、「あれ?ここに行った事があるぞ?」と思い、写真を見返してましたらありました(笑)
すっかり行った事を忘れてました(苦笑)
ここは華道「嵯峨御流」家元のお寺さんですね。
ここに来たのは狩野山楽の障壁画を見れるという事からだったと思います。
狩野派は激動の戦国時代、絵師を残すために織田・秀吉・徳川にそれぞれお抱え絵師を送り込み、何処が天下を取っても狩野派が生き残れるようにとしたようです。
なかなかツワモノです(笑)まるで真田の様です。
山楽は浅井家の家臣の子として産まれたのに、紆余曲折を経て狩野家に入り、秀吉の元で絵師として活躍していました。徳川の天下となり多くの狩野派は江戸に行きましたが彼は京都に残り「京狩野」として絵師を続けたと言われています。
解説してくれた人曰く、「彼は徳川の世になっても家康を毛嫌いしていた」と。絵の中にもそのような隠しがあるそうです。
障子の腰板に描かれているウサギは、現在は模倣品で本物は博物館だったか宝物殿だったかにあるそうで、このかわいらしいウサギの絵を描いたのはあの尾形光琳です。
すっかり行った事を忘れてました(苦笑)
ここは華道「嵯峨御流」家元のお寺さんですね。
ここに来たのは狩野山楽の障壁画を見れるという事からだったと思います。
狩野派は激動の戦国時代、絵師を残すために織田・秀吉・徳川にそれぞれお抱え絵師を送り込み、何処が天下を取っても狩野派が生き残れるようにとしたようです。
なかなかツワモノです(笑)まるで真田の様です。
山楽は浅井家の家臣の子として産まれたのに、紆余曲折を経て狩野家に入り、秀吉の元で絵師として活躍していました。徳川の天下となり多くの狩野派は江戸に行きましたが彼は京都に残り「京狩野」として絵師を続けたと言われています。
解説してくれた人曰く、「彼は徳川の世になっても家康を毛嫌いしていた」と。絵の中にもそのような隠しがあるそうです。
障子の腰板に描かれているウサギは、現在は模倣品で本物は博物館だったか宝物殿だったかにあるそうで、このかわいらしいウサギの絵を描いたのはあの尾形光琳です。
すてき
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