さがむらくもべついん
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楽しみ方嵯峨村雲別院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月05日(木) 20時53分30秒
参拝:2026年2月吉日
嵯峨村雲別院は京都市右京区にあるお寺です。
奥嵯峨に向かって進みますと広い墓所をお見掛けしました。
これはお寺がある!と思って立ち寄ってみましたら 嵯峨村雲別院と彫られた石柱がありました。
すぐそばに見える建物は どう見ても本堂ではなさそうでした。
民家の私有地かも?と思いながら奥に入らせていただきました。
玄関を見つけましたが やはり本堂ではない。
もう少し奥に進むと ありました。本堂が。
残念ながら本堂の中を見ることはできませんでしたが こちらで合掌。
お庭には 墓参りの方のためのお休み処(?)がありました。
井戸の跡もありました。
ネット情報です。
嵯峨の二尊院の北に「嵯峨村雲別院」の石標が立つ。
西に坂道が続き 小倉山近くの開けた高台にいまは霊苑が広がる。
かつてこの地に日蓮宗唯一の尼門跡寺院である瑞龍寺があった。
村雲御所とも呼ばれた。
その後 寺は近江八幡市に移されている。
日蓮宗寺院で 本尊は釈迦如来。
1596年 豊臣秀吉の姉・瑞龍院(日秀尼)が 高野山で自害した実子・豊臣秀次の菩提を弔うために創建した。
当初は 嵯峨の村雲(二尊院付近)にあったともいう。
第107代・後陽成天皇により村雲の寺地 瑞龍寺の寺号 寺領1000石を贈られた。
以後 尼門跡になる。
江戸時代 嵯峨より西陣に移転する。
徳川家康は寺を保護した。
徳川家光は 二条城の客殿2棟を移して増築した。
1764年旧12月 寺は村雲卸所とも呼ばれる。
1788年 天明の大火で全焼した。
1824年より28年間/天保年間(1830-1844) 9世・日尊尼により再建される。
1868年以降 荒廃した。
1876年 宮内省より寺費が与えられる。
1961年 11世・日浄尼(九条日浄)の時 堀川通の拡張工事に伴い 秀次ゆかりの八幡山城跡(滋賀県近江八幡市)に移された。
奥嵯峨に向かって進みますと広い墓所をお見掛けしました。
これはお寺がある!と思って立ち寄ってみましたら 嵯峨村雲別院と彫られた石柱がありました。
すぐそばに見える建物は どう見ても本堂ではなさそうでした。
民家の私有地かも?と思いながら奥に入らせていただきました。
玄関を見つけましたが やはり本堂ではない。
もう少し奥に進むと ありました。本堂が。
残念ながら本堂の中を見ることはできませんでしたが こちらで合掌。
お庭には 墓参りの方のためのお休み処(?)がありました。
井戸の跡もありました。
ネット情報です。
嵯峨の二尊院の北に「嵯峨村雲別院」の石標が立つ。
西に坂道が続き 小倉山近くの開けた高台にいまは霊苑が広がる。
かつてこの地に日蓮宗唯一の尼門跡寺院である瑞龍寺があった。
村雲御所とも呼ばれた。
その後 寺は近江八幡市に移されている。
日蓮宗寺院で 本尊は釈迦如来。
1596年 豊臣秀吉の姉・瑞龍院(日秀尼)が 高野山で自害した実子・豊臣秀次の菩提を弔うために創建した。
当初は 嵯峨の村雲(二尊院付近)にあったともいう。
第107代・後陽成天皇により村雲の寺地 瑞龍寺の寺号 寺領1000石を贈られた。
以後 尼門跡になる。
江戸時代 嵯峨より西陣に移転する。
徳川家康は寺を保護した。
徳川家光は 二条城の客殿2棟を移して増築した。
1764年旧12月 寺は村雲卸所とも呼ばれる。
1788年 天明の大火で全焼した。
1824年より28年間/天保年間(1830-1844) 9世・日尊尼により再建される。
1868年以降 荒廃した。
1876年 宮内省より寺費が与えられる。
1961年 11世・日浄尼(九条日浄)の時 堀川通の拡張工事に伴い 秀次ゆかりの八幡山城跡(滋賀県近江八幡市)に移された。
すてき
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