臨済宗天龍寺派
厭離庵のお参りの記録一覧
![ジュン](https://minimized.hotokami.jp/ALNVlFeUYNTy8dzIJAl92F26FM4u8zAlwbGe84X7b0o/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20201101-082842_hMikE6bHUt.png@webp)
藤原定家が「小倉百人一首」を編纂した小倉山荘跡と伝わっていて、境内には定家が
筆を洗った「柳の井」や「定家塚」などが残っている。
通常は非公開ですが、紅葉の時期にだけ庭園と茶室・本堂が公開されています。
見頃は若干過ぎてしまっているものの、散り紅葉が美しい素敵な庭園を見ることができました。
手書きの御朱印がいただけると思っていなかったのでビックリ。
百人一首に採られている藤原定家の歌が書かれています。
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
![ジンジャー](https://minimized.hotokami.jp/6QuWVrBvTW528fciTeIxa0wnlnX9YBE8ezWvZJjPim4/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20191121-070012_N7AUijMAX0.png@webp)
ずっと伺ってみたかった厭離庵さんへ行ってきました。
入口が分かりづらいですが、敷地の南側道路に面しています。
春と秋の特別公開以外の拝観は予約制です。
創始の詳細は不明だが、公家で歌人の藤原定家(1162~1241年)が「小倉百人一首」を撰した山荘があったと伝わる。
後に荒廃したが、元文年間(1736~1741年)定家の子孫である冷泉家が修復し、霊元法皇から厭離庵の号を賜わり、霊源が開山した。
当時は真言宗であったが、後の安永年間(1772-1781)に臨済宗天龍寺派になる。
その後再び荒廃したが、明治43年(1910年)に山岡鉄舟の娘、素心尼が住職になり尼寺として再興された。
グーグルマップで見ると敷地の東側から入るのかと勘違いしてしまいますが
入口は南側です
山門
左手に受付があります
嵯峨二尊院から清凉寺へ向かう道すがらの、民家と民家の間に隠れるように建つ「厭離庵」。
小倉百人一首編さん者・藤原定家が百人一首の元となる歌集を生み出した地。
普段は拝観謝絶寺ですが、紅葉シーズンのこの時期限定で一般公開されます。
御朱印、というか定家の歌をしたためてもらえますが、手書きのみです。書置きはありません。
道端に立っているこの看板が目印、兼、公開中ですよというサイン。
嵯峨野の隠れ寺ですが、たまーにパックツアーが大量に押し寄せることも。
門前をくぐると目の前にすぐ椛。
なにしろ小さいお寺さん。基本お庭のみを鑑賞する形になります。
本堂。
今はまだ青椛なので参拝者もそこそこ。
これでほぼ全景。
もとは藤原定家の山荘。
藤原定家が小倉百人一首を選定した場所として知られる。
普段は非公開寺院だが、紅葉のこの時期限定で特別一般公開される紅葉寺。
ただし外界からは完全に遮断されており、そもそも全く気付かない人も多い嵯峨嵐山の隠れ家的紅葉スポットのうちの1つ。
看板が出てないと誰も気付かない。
特別拝観中はちゃんと看板出してます。
二尊院~清凉寺間にある、知る人ぞ知る紅葉寺。
京都府のおすすめ2選🎌
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