せいりょうじ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方清凉寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2026年02月27日(金) 22時57分21秒
参拝:2026年2月吉日
清凉寺は京都市右京区にあるお寺です。
この日は妻も一緒に参拝でして 妻はまだこちらに参拝していませんでしたので 私のおススメということで参拝しました。
清凉寺は嵯峨釈迦堂とも呼ばれる古刹です。
二階建て仁王門は それはそれは見事な造りで 250年ほど前の再建だそうです。
ちょうど人が映り込んでいるので 大きさが分かると思います。
この仁王門からまっすぐ南に行くと 嵐山の渡月橋に至ります。
仁王門をくぐると すぐ左手にカフェBhagavanがあります。
こちらの団子がうまいんですよ。
失礼してこちらで喫茶タイム。
お団子と抹茶で心が満たされました。
さてと 境内を歩きましょう。
愛宕権現社・多宝塔・法然上人像・聖徳太子殿と巡り 本堂へ。
本堂で拝観料を払い中へ。
御本尊の釈迦如来立像(国宝)を拝顔して合掌。
本堂裏の戸から出て 回廊を通って大方丈へ。
池泉回遊式庭園を見ながら 弁天堂へ離れていても合掌できました。
弁天堂は外壁に見事な彫刻がありました。
大方丈では小堀遠州の作庭とされる枯山水庭園を見ることができます。
少しイメージしていたのとは違いましたが 苔が美しかったです。
再び本堂に戻り 御朱印をいただいて外に出ました。
鐘楼と狂言堂を見て 最後に一切経蔵を見ました。
あっ 阿弥陀堂を見忘れた!
また参拝しよう。
ネット情報です。
山号は五台山
宗旨は浄土宗
ご本尊は釈迦如来(生身の釈迦、国宝)
創建年は長和5年(1016年)[1][2]
開山は盛算
開基は奝然
別称は嵯峨釈迦堂
札所は京都十三仏霊場第2番です。
この寺の歴史には 阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と 釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。
この地には もともと嵯峨天皇の皇子で 『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる左大臣源融の別荘栖霞観(せいかかん)があった。
源融の一周忌に当たる寛平8年(896年) 融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。
その後天慶8年(945年)に 重明親王妃が新堂を建て 等身大の釈迦像を安置した。
一説では 「釈迦堂」の名の起こりはこの時であるという。
棲霞寺草創から数十年後 宋に渡り 五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然という東大寺出身の僧がいた。
奝然は 宋へ渡航中の寛和元年(985年) 台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。
奝然は 永延元年(987年)日本に帰国後 京都の愛宕山を宋の五台山に見立て 愛宕山麓にこの釈迦如来立像を安置する寺・大清凉寺を建立しようとしたが 様々な障害に阻まれ 一旦京都の船岡山にある蓮台寺に釈迦像を運び込むことになる。
奝然は 三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで 南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。
都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる大清凉寺を建立することで 相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした という意図が込められていたとされる。
しかし 延暦寺の反対にあい その願いを達しないまま長和5年(1016年) 奝然は没した。
彼の遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の釈迦堂に「栴檀の瑞像」(前述の三国伝来の釈迦像)を安置すると 釈迦堂は華厳宗の寺・五台山清凉寺と改変された。
その後 華厳宗の他に天台宗 真言宗を兼ねるようになる。
また 愛宕山白雲寺(現・愛宕神社)の山下別当寺ともなった。
享禄3年(1530年)に円誉が当寺に入り 初めて十二時の念仏を勤修してより 本寺は浄土宗の寺となる。
釈迦堂(本堂)は 慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって寄進・造営されたが その後 寛永14年(1637年)に発生した嵯峨大火で類焼し 本堂以下の伽藍が被災した。
徳川綱吉の母である桂昌院の発願で 伽藍の復興が行われた。
三国伝来の釈迦像・生身の釈迦は信仰を集め 清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」と呼ばれて栄えた。
しかし 明治時代の神仏分離によって愛宕山白雲寺は愛宕神社になり 山下別当寺であった当寺は愛宕山から分離された。
一方 母体であった棲霞寺は次第に衰微してやがて清凉寺に吸収されたが 今に残る阿弥陀堂や 阿弥陀三尊像(国宝 現在は霊宝館に安置)に その名残をとどめている。
この日は妻も一緒に参拝でして 妻はまだこちらに参拝していませんでしたので 私のおススメということで参拝しました。
清凉寺は嵯峨釈迦堂とも呼ばれる古刹です。
二階建て仁王門は それはそれは見事な造りで 250年ほど前の再建だそうです。
ちょうど人が映り込んでいるので 大きさが分かると思います。
この仁王門からまっすぐ南に行くと 嵐山の渡月橋に至ります。
仁王門をくぐると すぐ左手にカフェBhagavanがあります。
こちらの団子がうまいんですよ。
失礼してこちらで喫茶タイム。
お団子と抹茶で心が満たされました。
さてと 境内を歩きましょう。
愛宕権現社・多宝塔・法然上人像・聖徳太子殿と巡り 本堂へ。
本堂で拝観料を払い中へ。
御本尊の釈迦如来立像(国宝)を拝顔して合掌。
本堂裏の戸から出て 回廊を通って大方丈へ。
池泉回遊式庭園を見ながら 弁天堂へ離れていても合掌できました。
弁天堂は外壁に見事な彫刻がありました。
大方丈では小堀遠州の作庭とされる枯山水庭園を見ることができます。
少しイメージしていたのとは違いましたが 苔が美しかったです。
再び本堂に戻り 御朱印をいただいて外に出ました。
鐘楼と狂言堂を見て 最後に一切経蔵を見ました。
あっ 阿弥陀堂を見忘れた!
また参拝しよう。
ネット情報です。
山号は五台山
宗旨は浄土宗
ご本尊は釈迦如来(生身の釈迦、国宝)
創建年は長和5年(1016年)[1][2]
開山は盛算
開基は奝然
別称は嵯峨釈迦堂
札所は京都十三仏霊場第2番です。
この寺の歴史には 阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と 釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。
この地には もともと嵯峨天皇の皇子で 『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる左大臣源融の別荘栖霞観(せいかかん)があった。
源融の一周忌に当たる寛平8年(896年) 融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。
その後天慶8年(945年)に 重明親王妃が新堂を建て 等身大の釈迦像を安置した。
一説では 「釈迦堂」の名の起こりはこの時であるという。
棲霞寺草創から数十年後 宋に渡り 五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然という東大寺出身の僧がいた。
奝然は 宋へ渡航中の寛和元年(985年) 台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。
奝然は 永延元年(987年)日本に帰国後 京都の愛宕山を宋の五台山に見立て 愛宕山麓にこの釈迦如来立像を安置する寺・大清凉寺を建立しようとしたが 様々な障害に阻まれ 一旦京都の船岡山にある蓮台寺に釈迦像を運び込むことになる。
奝然は 三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで 南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。
都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる大清凉寺を建立することで 相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした という意図が込められていたとされる。
しかし 延暦寺の反対にあい その願いを達しないまま長和5年(1016年) 奝然は没した。
彼の遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が棲霞寺の釈迦堂に「栴檀の瑞像」(前述の三国伝来の釈迦像)を安置すると 釈迦堂は華厳宗の寺・五台山清凉寺と改変された。
その後 華厳宗の他に天台宗 真言宗を兼ねるようになる。
また 愛宕山白雲寺(現・愛宕神社)の山下別当寺ともなった。
享禄3年(1530年)に円誉が当寺に入り 初めて十二時の念仏を勤修してより 本寺は浄土宗の寺となる。
釈迦堂(本堂)は 慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって寄進・造営されたが その後 寛永14年(1637年)に発生した嵯峨大火で類焼し 本堂以下の伽藍が被災した。
徳川綱吉の母である桂昌院の発願で 伽藍の復興が行われた。
三国伝来の釈迦像・生身の釈迦は信仰を集め 清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」と呼ばれて栄えた。
しかし 明治時代の神仏分離によって愛宕山白雲寺は愛宕神社になり 山下別当寺であった当寺は愛宕山から分離された。
一方 母体であった棲霞寺は次第に衰微してやがて清凉寺に吸収されたが 今に残る阿弥陀堂や 阿弥陀三尊像(国宝 現在は霊宝館に安置)に その名残をとどめている。

立派な二階建ての仁王門

人と比べて とても大きいですね

五台山の扁額

由緒書

網が邪魔ですね

すごい迫力です

寺号標

京都十三仏霊場第2番札所

仁王門くぐって左手 Bhagavanという喫茶店

団子と抹茶をいただきました

境内案内図

愛宕権現社の鳥居

愛宕権現社

多宝塔

聖徳太子殿

六角堂でした

法然上人像

本堂

本堂の扁額と六角菱燈籠

本堂裏から方丈に続く回廊

御本尊裏手の戸を開けて外に出ます

本堂裏のお庭

不明

池泉回遊式庭園

弁天堂

弁天堂の彫刻がすごいです

方丈のお庭

方丈前の庭

小堀遠州作と伝わる枯山水庭園


方丈の杉戸

本堂に戻ってきました ちょうどどなたか出てくるところ

鐘楼

生の六道 小野篁公遺跡

狂言堂

一切経蔵
すてき
みんなのコメント(4件)
くぅくるくるきよせんさん こんばんは
最近どこも行けずじまいで 行きたい候補に入れました ありがとうございます〜🥰
2026年02月27日(金) 23時07分19秒
くぅさん こんばんは。
コメントいただきありがとうございます。
お仕事がお忙しいのでしょうか?お疲れ様です。
しばらく参拝しないとうずうず・・・しちゃいますよね。
私はその症状を「ホトカミ病」と名付けています。
大阪からだと遠くはないですから ぜひ参拝ください。
団子とお茶もおいしいですよ。
そうそう 女将さんが着物姿で接客してくださいますよ。
2026年02月28日(土) 00時15分46秒
山門のドカッとした存在感は、スゴイのひと言‼️
境内お参りするには、結構な時間がかかりそうですねぇ〜
しかし
きよさま、
ダンゴのフォトは反則です‼️(笑)
しかし
夫婦でホトカミ出来ることは、ホント、ありがたいですよねぇ〜
2026年03月01日(日) 18時35分16秒
弘法 真魚さん こんばんは。
反則写真 すみません。(笑)
でも ほんとうまいんですよ。
妻と参拝できること 本当に幸せだと感じています。
独りだと 感動しても口にできないですから。
「すごいねぇ」って妻と会話するのが幸せです。
弘法 真魚さんもそうですか?
2026年03月02日(月) 01時01分25秒
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3234投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。







