おたぎねんぶつじ|天台宗延暦寺末寺|等覚山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方愛宕念仏寺のお参りの記録一覧

本日、1か所目。化野念仏寺は来たことがありますが、ここは初訪問。
石仏は、新しいらしいです。
外国の方が、多かったです。
御朱印は、半紙の四つ折り?































仕事が休みだったので、1,200体の石像が有名な愛宕念仏寺に🙏
石像は1体1体違っていて、お気に入りの石像を探していましたよ。
ふれ愛観音は目の不自由な方も触れて仏様がわかるようにという願いから作られたとのこと。
その想いが素晴らしく尊いですね‼️
本堂から観る紅葉もとても綺麗でした🍁
※外国人観光客、多いですね…
嵐山、渡月橋なら分かりますが、山の上の静かなお寺に何故これほどまでに観光客がいるんでしょうか。石像が珍しいのでガイドブックに載ってるんでしょうか。
お寺さんにはよいことかもしれないのでなんともいえませんが、個人的には観光地化してることにはとても違和感を感じます…









京都市右京区にあるお寺です。
愛宕念仏寺と書いて おたぎねんぶつじと読みます。
最近 外国人による不法侵入でニュースになっていたお寺です。
愛宕神社の登山口 清滝の手前にあるお寺で 化野念仏寺とともに まあまあ奥にあるお寺なんですが 外国人の観光客が多いです。
嵯峨野めぐりの始発点になっていて ここから嵐山まで1時間ほど歩くコースが人気だからです。
外国人が多いというか 参拝している間に 日本語はほぼ聞きませんでした。
英語・中国語・韓国語・おそらくスペイン語やフランス語などなど まあ服装を見ると分かることが多いのですが 日本人か?と思っても台湾の方だったりします。
本堂にも入れますし 観音様も拝顔できました。
いたるところに表情豊かな羅漢さんがいて そのユーモアのある姿に大喜びする観光客も多いです。
さながら「かわいい~」とか言ってるんでしょうね。
本堂の縁側っていうのか靴を脱いで上がった所に 何人も外国の方が座って まるで日光浴のようにして境内を眺めておられました。
日本人だと信仰の場として考えられないと思いますが 外国の方ですから 座っていちゃいちゃしているカップルもいらっしゃったりします。バチ当たれ。
境内には地蔵堂とふれ愛観音堂 天河大弁財天 青九十九月主 三宝の鐘があります。
もう一つ 塔があり 多宝塔らしいのですが 形状が違う気もします。
羅漢さんを見るだけでも満足できるお寺です。
ネット情報です。
山号は等覚山(とうかくざん) 宗旨は天台宗 ご本尊は千手観音 創建年は天平神護2年(766年) 開基は称徳天皇です。
天平神護2年(766年) 称徳天皇により今の京都・東山松原通の地 六波羅蜜寺の近くに愛宕寺として創建された。
寺名の由来は山城国愛宕郡に初めて建てられた寺院だからだという。
平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたようである。
醍醐天皇の時代 既に荒れ寺となっていたところ 近くを流れる鴨川の洪水で堂宇を流失 廃寺となってしまった。
その後 醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興した。
念仏上人と呼ばれていた千観が当寺で念仏を唱えていたことから 当寺はその名を愛宕念仏寺と改め 天台宗に属した。
この際いったんは七堂伽藍を備え勅願寺としての体裁を整えたが その後は興廃を繰り返し 最後は本堂 地蔵堂 仁王門を残すばかりとなった。
1922年(大正11年) 本堂の保存のために現在地に移築・移転し 復興を図る。
しかし太平洋戦争中に無住となり 1950年(昭和25年)のジェーン台風で当寺は大きな被害を受けて荒れ果ててしまい ついに廃寺となった。
1955年(昭和30年) 仏師で僧侶の西村公朝が天台宗本山延暦寺から当寺の再興を命じられ 住職に任じられたが 引き受けるのをためらったという。
清水寺貫主・大西良慶の「それだけ傷んでおれば 草一本むしりとっても 石一つ動かしても お前は復興者 復興者やと言ってもらえる。わしも手伝ってやるから」との激励を受け 復興に取りかかった。
以来 仏師として全国を飛び回る傍ら境内の整備を行っている。

山門

由緒書



羅漢洞

山門くぐるとすぐに石段です

その斜面にも羅漢さん

表情豊かです

壁にも羅漢さん

地蔵堂

内陣

本当に表情豊か

全部で1200体あるそうです

本堂 見えるのは外国の方ばかり

ご本尊は千手観音様

脇仏もたくさん


天河大弁財天

韓国の若い女性が大喜びしていた羅漢さん


観音様

青九十九月主 とあります

奥に祠

ふれ愛観音堂

目の不自由な方が 手で触れることで仏との縁を結ぶんだそうです

悩むんです

本堂横にも

本堂 まだ外国の方ばかり

三宝の鐘

みんな鳴らす鳴らす

不動明王

おもしろい顔だらけ

ペットが肩に?

輪をもって

逆立ち

【等覚山(とうかくざん)愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)】
本尊:千手観音
宗派:天台宗
開基:称徳天皇
愛宕念仏寺は、766(天平神護2)年に聖武天皇の娘の第48代 称徳天皇(孝謙天皇の重祚)(在位:764-770)によって東山松原通の地、六波羅蜜寺の近くに愛宕寺として創建されました。寺名の由来は山城国愛宕郡(おたぎごうり)に初めて建てられた寺院だからだといわれます。平安時代には、鴨川の洪水により堂宇が流出し廃寺となっています。その後、念仏上人と称される天台宗の僧千観内供(せんかんないぐ)(918-984)により復興され、寺の名前も後に愛宕念仏寺と言われるようになりました。
本堂は鎌倉中期のものですが、1922(大正11)年、堂宇の保存のため現在地に移築され嵯峨の愛宕念仏寺として再興されました。地蔵堂には「火之要慎」のお札で知られる、あたご本地仏「火除地蔵菩薩」が祀られています。
戦時中に無住寺となり台風災害により廃寺となっていましたが、1955(昭和30)年、仏像彫刻家 西村公朝(にしむら こうちょう)(1915-2003)が住職を拝命してより再興されました。境内を羅漢(お釈迦様の弟子たち)の石像で充満させたい思いに賛同した参拝者の手によって彫られた千二百躰の羅漢像が並びます。
海外の方がたくさんいらっしゃいました。ユーモラスな姿で様々な表情の羅漢像を拝見し、人気があるのが頷けました。

【羅漢像】

【羅漢像】

【地蔵堂】

【羅漢像】

【地蔵堂】

【地蔵堂 内陣】


【地蔵堂から見るふれ愛観音堂】

【ふれ愛観音堂】

【ふれ愛観音】

【本堂】
国の重要文化財。

【本堂 内陣】

【本堂 内陣】
飛雲観音。

【羅漢像】

【羅漢像】

【本堂から見る多宝塔】


【多宝塔】

【羅漢像】

【本堂】

【羅漢像】

【羅漢像】

【天河大辯財天社】

【三宝の鐘】


【羅漢像】
羅漢像ぽくない像が中央に。

【羅漢像】
むん!

【御朱印】

試峠に行ってみたかったのでそのついでに参拝。
羅漢様が微笑んでいました。




愛宕念仏寺奥には清滝トンネルがありますね
愛宕神社へ行くにはここを通るのが良き
京都府のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
















































































































































































30
0