にんなじ|真言宗御室派|大内山
仁和寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 阿弥陀三尊 | |
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創建時代 | 仁和4年(888年) | |
開山・開基 | 宇多天皇 | |
ご由緒 | 仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、「西山御願寺」と称されたが、やがて年号をとって仁和寺と号した。宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室(仁和寺)御所」の別称がある。なお、「御室」の旧地には現在、「仁和寺御殿」と称される御所風の建築群が建つ。御所跡地が国の史跡に指定されている。
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歴史 | 歴史[編集] 当寺は平安時代前期、光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建てられ始めた[1]。しかし、光孝天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御し、その遺志を引き継いだ子の宇多天皇によって仁和4年(888年)に落成した[1]。当初「西山御願寺」と称され、やがて元号をとって仁和寺と号した[2]。 当寺の初代別当は天台宗の幽仙であった。しかし、昌泰2年(899年)10月に宇多天皇が当寺で出家して宇多法皇となると、翌11月には東寺にて真言宗の益信を戒師として出家し[1]、これを機に当寺の別当を真言宗の観賢に交替させている。これによって当寺は真言宗の寺院として定着することとなった。法皇は、延喜4年(90...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「仁和寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BB%81%E5%92%8C%E5%AF%BA&oldid=102352406 |
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