おおさけじんじゃ
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楽しみ方大酒神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月19日(木) 21時14分00秒
参拝:2026年2月吉日
大酒神社は京都市右京区にある神社です。
もとは広隆寺の境内にあった神社で 明治時代の神仏分離令で現在地へ遷座したものです。
広隆寺の仁王門から歩いて2分ほどの場所にあります。
石鳥居は明神鳥居でした。
神明鳥居もシンプルで良いですが 私は明神鳥居の方が好きかな。
鳥居をくぐると 境内はL字型に広がっていました。
手水舎の隣には 少し変わった形の石碑がありました。
「皇紀2600年奉祝記念」と彫られていました。
こちらの本殿は 覆屋の中ではありませんでした。
屋根は反りのある銅板葺きで 千木・鰹木はありませんが立派なものでした。
本殿の梁に虫食いの跡があり 私はこういう部分に趣を感じてしまいます。
お酒と樒が置かれていました。
地域の氏子の方がお供えされているのでしょう。素敵です。
社務所はなく 御朱印はどこでいただけるか分かりませんでした。
ネット情報です。
祭神は5柱
主祭神は秦始皇帝・弓月王(ゆずきのきみ)・秦酒公(はたのさけのきみ)
相殿神は兄媛命(えひめのみこと)・弟媛命(おとひめのみこと)
大酒神について 広隆寺の縁起である『広隆寺来由記』(明応8年(1499年)成立)では 秦の始皇帝の祖神とし 日本に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔 秦氏遠祖)が勧請したとする。
伝承自体の真偽は明らかでないが 伝承に見えるように古くから太秦一帯を開発した秦氏の氏神であったと推測され 史書に見える秦酒公(はたのさけのきみ)と大酒神を関連づける説もある。
一方近世の『雍州府志』では祭神を物部守屋とし 一説に秦河勝とする。
また『都名所図会』では祭神を天照大神・八幡神・天満天神とし 別説に秦の始皇帝とする説や 秦河勝とする説を載せる。
これらとは別に近年の研究では 元の神名の「大辟(大避)」から 「災厄を避ける(遠ざける)」いわゆる道祖神とする説が挙げられている。
もとは広隆寺の境内にあった神社で 明治時代の神仏分離令で現在地へ遷座したものです。
広隆寺の仁王門から歩いて2分ほどの場所にあります。
石鳥居は明神鳥居でした。
神明鳥居もシンプルで良いですが 私は明神鳥居の方が好きかな。
鳥居をくぐると 境内はL字型に広がっていました。
手水舎の隣には 少し変わった形の石碑がありました。
「皇紀2600年奉祝記念」と彫られていました。
こちらの本殿は 覆屋の中ではありませんでした。
屋根は反りのある銅板葺きで 千木・鰹木はありませんが立派なものでした。
本殿の梁に虫食いの跡があり 私はこういう部分に趣を感じてしまいます。
お酒と樒が置かれていました。
地域の氏子の方がお供えされているのでしょう。素敵です。
社務所はなく 御朱印はどこでいただけるか分かりませんでした。
ネット情報です。
祭神は5柱
主祭神は秦始皇帝・弓月王(ゆずきのきみ)・秦酒公(はたのさけのきみ)
相殿神は兄媛命(えひめのみこと)・弟媛命(おとひめのみこと)
大酒神について 広隆寺の縁起である『広隆寺来由記』(明応8年(1499年)成立)では 秦の始皇帝の祖神とし 日本に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔 秦氏遠祖)が勧請したとする。
伝承自体の真偽は明らかでないが 伝承に見えるように古くから太秦一帯を開発した秦氏の氏神であったと推測され 史書に見える秦酒公(はたのさけのきみ)と大酒神を関連づける説もある。
一方近世の『雍州府志』では祭神を物部守屋とし 一説に秦河勝とする。
また『都名所図会』では祭神を天照大神・八幡神・天満天神とし 別説に秦の始皇帝とする説や 秦河勝とする説を載せる。
これらとは別に近年の研究では 元の神名の「大辟(大避)」から 「災厄を避ける(遠ざける)」いわゆる道祖神とする説が挙げられている。
すてき
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