こうさんじ
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楽しみ方高山寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月25日(日) 20時23分48秒
参拝:2025年12月吉日
京都市右京区にあるお寺です。
阪急西院駅から歩いてすぐの場所にあります。
境内も広く立派なお寺で境内に入ることはできますが 一般公開はされていません。
上がることはできませんが 本堂の前で合掌。
本堂脇には壊れた山車と思われるものがありました。
昔使っていたものを 壊れたとはいえ今に伝えていらっしゃるのは素晴らしいと思いました。
御本尊は子安地蔵だそうです。
地名の西院(さい)が賽の河原の賽に通じるため 子供を救う地蔵として信仰されているようです。
境内にはお地蔵様がたくさんいらっしゃって 地域の子供達の成長を願っていることが分かります。
ちょうどお墓参りの方がいらっしゃって その方が関係者とお話をされていたので御朱印をいただけるか尋ねたところ いただけるということでした。
墓参りの方がいらっしゃらなかったら お話することもなかったので感謝です。
ネット情報です。
平安時代には この地に淳和天皇の離宮があり 門前に「淳和院跡」の石標が立つ。
「西院の河原(さいのかわら)」 「賽の河原(さいのかわら)」とも呼ばれている。
古くは「高西寺」と呼ばれた。
山号は日照山という。
浄土宗。
本尊は地蔵菩薩(子授地蔵) 十一面観音。
子ども守護 子宝祈願 疾病平癒の信仰がある。
創建 変遷の詳細は不明。
平安時代前期 この地には第53代・淳和天皇(786-840)の後院(天皇即位後の御所)である離宮南池院(西院)が営まれていた。
付近はその東南隅に当たった。
833年 淳和上皇は譲位後 皇太后正子内親王とともに 整備した離宮・淳和院(西院)に住む。
840年 上皇没後 皇太后は出家し 院は仏道修行の道場になる。
871年 西院付近は庶民の葬送の地と定められている。
879年 皇太后没後 その遺命により院は寺に改められた。
平安時代中期 平安京の右京が衰退し 荒廃する。
付近も広い河原になり 「西院の河原」と呼ばれた。
阪急西院駅から歩いてすぐの場所にあります。
境内も広く立派なお寺で境内に入ることはできますが 一般公開はされていません。
上がることはできませんが 本堂の前で合掌。
本堂脇には壊れた山車と思われるものがありました。
昔使っていたものを 壊れたとはいえ今に伝えていらっしゃるのは素晴らしいと思いました。
御本尊は子安地蔵だそうです。
地名の西院(さい)が賽の河原の賽に通じるため 子供を救う地蔵として信仰されているようです。
境内にはお地蔵様がたくさんいらっしゃって 地域の子供達の成長を願っていることが分かります。
ちょうどお墓参りの方がいらっしゃって その方が関係者とお話をされていたので御朱印をいただけるか尋ねたところ いただけるということでした。
墓参りの方がいらっしゃらなかったら お話することもなかったので感謝です。
ネット情報です。
平安時代には この地に淳和天皇の離宮があり 門前に「淳和院跡」の石標が立つ。
「西院の河原(さいのかわら)」 「賽の河原(さいのかわら)」とも呼ばれている。
古くは「高西寺」と呼ばれた。
山号は日照山という。
浄土宗。
本尊は地蔵菩薩(子授地蔵) 十一面観音。
子ども守護 子宝祈願 疾病平癒の信仰がある。
創建 変遷の詳細は不明。
平安時代前期 この地には第53代・淳和天皇(786-840)の後院(天皇即位後の御所)である離宮南池院(西院)が営まれていた。
付近はその東南隅に当たった。
833年 淳和上皇は譲位後 皇太后正子内親王とともに 整備した離宮・淳和院(西院)に住む。
840年 上皇没後 皇太后は出家し 院は仏道修行の道場になる。
871年 西院付近は庶民の葬送の地と定められている。
879年 皇太后没後 その遺命により院は寺に改められた。
平安時代中期 平安京の右京が衰退し 荒廃する。
付近も広い河原になり 「西院の河原」と呼ばれた。
すてき
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くるくるきよせん3133投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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