みょうれんじ|本門法華宗大本山|卯木山
妙蓮寺京都府 鞍馬口駅
10:00〜16:00
京都市上京区にあるお寺です。
山号は卯木山
宗旨宗派は日蓮法本門法華宗
寺格は大本山
ご本尊は十界曼荼羅
です。
お参りしたこの日は、ご住職が不在だったのと、あいにくの雨天だったため、奥書院及び玄関の間障壁画を見ることはかないませんでした。
本殿は比較的新しい建物でしたが、寺務所は歴史のある建物でした。
寺務所に入ると、柱に刀傷が見られます。
蛤御門の変では、長州藩士を匿っているとされて薩摩藩士による探索が入り、その際に刀傷がつけられたとされています。
また方丈小玄関の柱にも刀傷があります。
これは新選組がつけたものとされています。
妙蓮寺が天皇家ゆかりの菊の御紋を奉じているため、匿う志士を捕らえることができず、新選組が怒りを柱に残したと伝えられています。
また、籠が飾られていました。
埃をかぶった籠ですが、それがますます歴史を感じる存在で素晴らしいです。
方丈にあがることができませんでしたが、事務員さん(?)が 「方丈庭園だけでもご覧ください」 とおっしゃっていただき、1枚だけ写真を撮らせてくださいました。
大本山妙蓮寺は、宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人によって、 永仁2年(1294)に創建された。
日像聖人が遺命を果たすため鎌倉より京都へ上られた時、 五条西洞院の柳酒屋は深く聖人に帰依し、未亡人は邸内に一宇を建立して聖人を請じ、卯木山妙法蓮華寺と称した。これが妙蓮寺の縁起である。(柳の字を二つに分けて卯木山という。)
その後、たびたびの法難にあったが、応永年間(1420年頃)本勝迹劣、本迹一致の論争を 契機に妙顕寺を退室した日慶聖人によって柳屋の地に本門八品門流として再興された。
その後、寺域を堀川四条に移し、皇室ならびに伏見宮家と関係深い日応僧正を迎えるにおよび、 皇族始め足利将軍義尚等の参詣多く、また今出川家の公達日忠聖人は、三井寺より改宗して 当寺に投じて学室道輪寺を創立し、本化教学の道場を開く。
ここにおいて当寺の法運は隆昌 を極め、山門の様式も格式高いものとなった。
天文5年(1536)には、法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗を筆頭に諸宗の僧俗10万人に よって襲撃され、妙蓮寺をはじめとする日蓮聖人門下21本山は、ことごとく灰燼に帰し堺 に立ち退いた。
天文11年(1542)大宮西北小路に復興され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉の聚楽 第造営に際して現在地に移転した。
当寺は、1k㎡の境内に塔頭27ヶ院を有する大寺院で あったが、天明8年(1788)の大火によって、そのほとんどが焼失し、わずかに宝蔵・鐘楼 を残すのみとなった。
寛政元年より漸次復興して、現在に至り、塔頭8ヶ院を残す。
名称 | 妙蓮寺 |
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読み方 | みょうれんじ |
参拝時間 | 10:00〜16:00 |
参拝料 | 境内自由。方丈・庭園:500円、宝物館:300円(事前予約制) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-451-3527 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://myorenji.or.jp/index.php |
SNS |
数珠巡礼 第39番 |
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山号 | 卯木山 |
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宗旨・宗派 | 本門法華宗大本山 |
創建時代 | 1294年(永仁2年) |
開山・開基 | 日像上人 |
ご由緒 | 大本山妙蓮寺は、宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人によって、 永仁2年(1294)に創建された。
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体験 | 御朱印花の名所 |
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