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鞍馬寺ではいただけません
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くらまでら

鞍馬寺のお参りの記録(1回目)
京都府鞍馬駅

投稿日:2017年09月16日(土)
参拝:2005年4月吉日
書くことが多すぎて源義経関連の鞍馬寺の感想を(笑)
今回は鞍馬駅側から行きました。
「健脚コース」と「ケーブルコース」があるのですが、膝が悪いと登るのはまだましなのですが坂道を下りるのが辛い。
なので行きは九十九折参道を登っていきました。
帰りは当然レトロなケーブルを利用(笑)

で、こんなところで修業してたら健脚にもなるわなと(笑)
修験道のお山よりはるかに楽なお山ですが道を外れるとけっこうな起伏が・・・。
木の根っこが飛び出しているのでもしかして相当このお山は固いのかも。岩みたいな地面なんでしょうね。大きな岩だったらそれはそれで面白い予想が立ちますが(笑)なにせ天から魔王が降りてきたお山ですからね(笑)


で、こっからは義経の事。
「判官贔屓」の言葉は義経の事を指して言われるようになったように、室町時代末期には義経の功績を讃えてこのように表現されました。

がです(笑)
結構酷い奴でして(笑)鬼一法眼から秘伝書を女性をたぶらかせて盗むとか? 平安時代の流儀無視してぶった切るとか? とにかく破天荒だった彼は周囲を翻弄させて戦いに勝って行きました。
それを恐れたのは頼朝ではなく北条政子だったそうで、進言して義経討伐まで持って行ったという事です。

さっき娘と話していたんですが「生まれた時期が間違っていたんだろうね」と。
戦国時代に生まれてたら凄い武将となってたろうと。
「もし生まれ変わっていたとしたら誰だと思う?」と聞くものですから、
「伊達政宗だったら無念だったろうね」と。
「やめたげてー!」と娘が叫んでましたよ(笑)政宗は「生まれた時が遅かった」と言われていた人物ですからね(笑)

いずれにせよ、若さゆえ一途な性格だったんでしょう。ある意味純粋だったのかもしれません。源氏再興に本気で兄を助けようとしていたに違いないのです。追われた時はさぞや悔しかったんだろうなって思います。
鞍馬寺の建物その他
鞍馬寺の山門
仁王門
鞍馬寺の末社
鬼一法眼社
鞍馬寺の建物その他
義経公供養塔
鞍馬寺のお墓
義経公供養塔
鞍馬寺の手水
義経がのどをうるおした息つぎの水
鞍馬寺の建物その他
遮那王堂
鞍馬寺の建物その他
義経公背比べ石
鞍馬寺の建物その他
義経堂
鞍馬寺の自然
木の根の道
鞍馬寺の周辺
鞍馬駅前の天狗の大面。鼻が折れて絆創膏が貼られてたと話題になってましたが無事に治ったようですね(笑)

すてき

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