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ゆっくん
2025年04月25日(金) 01時09分43秒
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御祭神 伊弉諾尊、瓊瓊杵尊。本殿一間社流造。 延喜式内社 「須波神社」の比定社、古くから「伊弉諾尊」「瓊瓊杵尊」の二柱を祀っていたため「二宮社」と呼ばれていました。
社伝によれば、成務天皇十二年三月 午日に山城国愛宕郡志津原に鎮座す。 伊弉諾尊が高天原に坐し、瓊瓊杵尊 が日向の高千穂に天降り、はじめは 静原楢小川の上流「河合谷意美和良 川」に鎮まられた。
古来、御本社に伊弉諾尊、奥御前 に瓊瓊杵尊をまつったが、そのため 合わせて「二宮社」と呼ばれる。 また、天武天皇が逆徒に襲われ此所 に臨幸され、玉体安らかに御心も静 かにあそばされた為、静原と称す。そし て、刀・弓・矛等を奉納されたため 江州浅井郡の地三三〇石を御寄付さ れ、和銅四年三月三日より祭祀を始 める。
現社地を「真路山」、御旅所を「 天皇社山」と称す。天正検地で三三 〇石没収されるも、秀吉公より下鴨 社領として三〇石が定められ明治に 至る。そのため、静原沙汰人と称し て、下鴨社の御蔭祭に奉仕する例が 現在も続いている。-境内案内-












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