御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
京都府のおすすめ❄️
おすすめの投稿

法雲寺から西へ、川上大神宮社へ。別名安良居(やすらい)神社。この名前でピーンと来た方はなかなかの京都通らしい😊そう、京都三大奇祭の一つである「やすらい祭」発祥の地であり、元禄時代に再興したやすらい祭は今宮神社・玄武神社とともに4月の第二日曜に執り行われています。ちょうど花まつりシーズンなのでタイミングがむずいところですが近くの鷹峯の吉野太夫道中が同日なのでうまくいけば両方みられるかも😍
さてこちらは賀茂別雷神社の読経所の鎮守で創建された神社とのことです。ちなみに賀茂別雷神社のやすらい祭は葵祭と同日の5月15日に行われます。

鳥居

社号碑

由緒

献灯碑

手水舎はまさかの井戸😲残念ながら飲めないみたい

参道階段はコンクリ舗装。先には拝殿

摂社。天忍穂耳命。


本殿前

本殿

京都市北区にある神社です。
西加茂の住宅街に ほんの一部こんもりとした場所がありました。
これは絶対に神社だ と思って訪れてみたところ 大正解でした。(こういう時って嬉しいです)
川上神社という表記もありますが 正式には川上大神宮です。(川上大神宮社とも)
境内は狭くはないですが 少し斜面になっていて 下には鳥居と手水 上には拝殿と本殿と末社が配置されています。
正面鳥居が30度ほど斜め向きに建っています。(珍しい気がします)
社務所もなく どなたもおられなかったので 御朱印はもちろん 詳しい話も伺えませんでした。
でも こういう神社は大好きです。
「なになに~ 御祭神は~? 末社は~?」なんてつぶやきながら観て回ります。
京都市の由緒書によると 「833年に上賀茂神社の読経所が置かれたとされ 後に力を持った醍醐家の領地となり その氏神様を祀ったので 伊勢神宮の御祭神である天照皇大神をお祀りした。」 とあります。
「1001年 都で疫病が流行し死者が出た際に 川上地区の住人が鬼に扮し 今宮神社の疫神に悪病の退散を祈願した。この鎮花祭である「やすらい踊」により難を逃れたという。」
こちらの氏子の皆さんが鬼役になって悪病退散の祈願をした。いやぁ何という素晴らしい氏子さんたちなんでしょう。
覆屋の中にある本殿ですが 屋根の部分が他とは少し異なる気がしましたので ネットで調べてみました。「五本の鰹木が乗る神明造の本殿」 とありました。
千木・鰹木で出てきました。
なるほどなるほど 大きな神社の本殿で見るやつと同じね。
でも千木はありませんでした。
末社になるのか摂社になるのか分かりませんが 天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)と素盞鳴命(すさのおのみこと)も祀られていました。
村社だそうですが なかなかに立派な神社だと思いました。

正面鳥居 少し斜め向きです

手水舎 井戸と水盤です

社号の石柱

京都市の由緒書

見上げたら拝殿が映る

木に隠れて見えにくい

拝殿

盛砂

本殿前の柵

覆屋の中に本殿

本殿祠 茅葺の屋根?

末社前にも盛砂

境内社 天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)

境内社 素盞鳴命(すさのおのみこと)
写真












| 名称 | 川上大神宮社 |
|---|---|
| 通称 | 安良居神社、川上神社、大神宮社 |
| トイレ | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》天照皇大神 |
|---|---|
| 創建時代 | 833年(天長10年) |
| ご由緒 | 正式には大神宮社とする。天長10年の創祀。もともとは賀茂別雷神社読経所の鎮守社で、川上村の産土神として尊崇されている。4月第二日曜日には、今宮神社・玄武神社と並んで「やすらい祭り」を執り行い、安良居神社とも称される。境内北方には、一条昭良の恵観山荘跡が醍醐の森として残されている。 |
| 体験 | 祭り |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ








10
0