御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

せいわいん|真言宗智山派河崎山感応寺

清和院のお参りの記録一覧
京都府 北野白梅町駅

sasaki3
sasaki3
2025年01月24日(金)
1675投稿

清和院 洛陽三十三所観音霊場。満願になりました。

清和院の御朱印

清和院 洛陽三十三所観音霊場。満願になりました。

清和院(京都府)

清和院 洛陽三十三所観音霊場。満願になりました。

清和院(京都府)

清和院 洛陽三十三所観音霊場。満願になりました。

清和院(京都府)

清和院 洛陽三十三所観音霊場。満願になりました。

清和院(京都府)

清和院 洛陽三十三所観音霊場。満願になりました。

もっと読む
くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年09月01日(日)
2231投稿

今年の夏は暑すぎますね。本当に酷暑。歩いてお参りするのは 私は2時間が限界です。
それでも1つお参りすると 次は となってしまう自分もいたりして。
この日はあまり時間がなかったのですが 狸谷山不動院にお参りしたあと 上京区にもお参りしました。
こちら清和院さんは 北野天満宮のすぐ近くにあるお寺です。
ぱっと見 普通の町のお寺さんなんですが 石柱に洛陽第33番とありましたので 札所だと思いました。境内に入ると やっぱり御朱印の案内がありました。
奥様が応対くださり 御朱印を拝受できました。
御本尊も拝顔でき この日を気持ちよく終えることができました。
帰りは天満宮近くの和菓子屋さんによって 家にお土産としました。

山号は河崎山 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は地蔵菩薩(清和地蔵尊もしくは玉体地蔵尊、重要文化財) 開基は文徳天皇 中興年は徳治元年(1306年) 中興は照空信日です。

由緒については
もと 藤原良房邸(染殿第)の南に文徳天皇が染殿后の請いにより仏心院を建てて地蔵菩薩を安置したのに始まる。
清和天皇が貞観18年(876年)の譲位後 染殿の南部分を御在所・後院とすると 仏心院は清和井(せかい)院もしくは勢賀院とも呼ばれるようになった。
それ以来 皇子 親王の住院として使用された。
その後に廃れていたところ 徳治元年(1306年)に浄土宗西山義の照空信日によって仏心院は再興され 清和院の号を朝廷より賜った。
万治4年(1661年)に禁裏が火事で焼失した際に共に焼け落ちるが 後水尾上皇によって現在地に移されて真言宗の寺院として再興された。
とありました。
小さいながらに由緒のあるお寺だったんですね。

清和院(京都府)

山門は開いていました

清和院(京都府)

京都市の由緒書

清和院(京都府)

石柱

清和院(京都府)

境内の様子

清和院(京都府)

本堂

清和院(京都府)

内陣

もっと読む
FLIP
FLIP
2024年05月22日(水)
17投稿

洛陽三十三所の巡礼でお伺い。
街中に何気なく建っている、京都市内ではよくあるこぢんまりとしたお寺さん。
山門を入るとすぐ左手にお堂が。
こちらもこぢんまりとしているのですが、正面には何気に重要文化財の御本尊、地蔵菩薩さまが。そして他にも所狭しときっと年代物だろうと思われる仏像たちが並んでいらっしゃいます。
そしてその中にひときわ異彩を放っているのが聖観音菩薩さま……の写真……え?

洛陽三十三所御本尊の観音様は、現在九州国立博物館に所蔵とのこと。
いやまあ良いんだけど。写真とは驚きですが、ちゃんと参拝させていただきましたw
でもこの観音様、さすがは重要文化財。とても曲線が美しく豊かな体躯をしていらっしゃる。

御朱印は奥の庫裏にて。
じっくりと一筆一筆丁寧に書いてくださいました。
ちなみに聖観音菩薩様は、元々感応寺というお寺にあったものが遷座されたものだそうで、御朱印の寺号も「感應寺」となっていました。

ありがとうございます。

それにしても、二体の重文にお寺自体も清和源氏の祖である清和天皇にゆかりがあるということで、京都のお寺は小さくてもあなどれないなと思いました。

清和院(京都府)

本堂

清和院(京都府)

山門

清和院(京都府)

びんづるさん

清和院の御朱印
もっと読む
行きたい
投稿する
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ