じょうぼんれいだいじ|真言宗智山派|蓮華金宝山
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上品蓮台寺について
平安時代後期の仏師・定朝(じょうちょう)の墓といわれる石塔(2m)が立つ。当寺の南にあった子院・照明院より遷されたという。題目笠塔婆に「日本仏師開山常朝法印康□」と刻まれている。
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京都市北区にあるお寺です。
御朱印の多さで有名な建勲神社のある船岡山公園のすぐ西にあります。
境内も広く 山門を含めて門が3つありました。
1つだけ閉じられていましたが 2つは開いていて中に入れました。
鐘楼・本殿・寶泉院・大師堂 どれも立派な建物でした。
これだけ立派なお寺で京都市の由緒書もあるので 拝観できるかな?と思ったのですが 拝観はしておりません でした。残念。
号は蓮華金寶山 院号は九品三昧院 宗旨宗派は新義真言宗智山派 ご本尊は地蔵菩薩 創建年は(伝)飛鳥時代(文献上は10世紀半ば) 開基は(伝)聖徳太子(実質的開基は寛空)です。
ネット情報です。
寺伝によれば 聖徳太子が母の菩提寺として建立し 宇多法皇が中興したという。
天徳4年(960年)9月9日付の蓮台寺供養願文(『本朝文集』所収)に 東寺長者寛空が北山に一堂を建立し 亡き父母の供養をしたとあり 『日本紀略』同日条にも同様の記載があるが これが上品蓮台寺の実質的な創建を伝えるものと推測される。
当寺は一名香隆寺とも呼ばれたが これは寛空が隣接する香隆寺(後に上品蓮台寺に合併)を兼帯していたためである。
寛空は宇多法皇の弟子にあたり 大覚寺で法皇から灌頂を受けている。
宇多法皇の孫(敦実親王の子)にあたる寛朝僧正も当寺の住持になっている。
嵯峨清凉寺の本尊で 「三国伝来の霊像」として広く信仰を集めてきた釈迦如来像は 一時期 上品蓮台寺に安置されていた。
『扶桑略記』によれば 寛和3年(永延元年・987年)に奝然が同釈迦像を宋から日本へ請来した際 一時この寺に安置し 後に清涼寺に移したという。
寺は応仁の乱で焼けたが 文禄年間(1592 – 1596年) 豊臣秀吉の援助のもと 紀州根来寺の性盛によって復興された。

立派な山門

石柱も立派

東南側の門には柵がありました

鐘楼が見えます

南側の門も開いていました

寶泉院

本堂

鐘楼

大師堂

拝観はしていませんでした


井戸

境内摂社

由緒書

日本佛師開山常朝法印「定家」の墓 の由緒書
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 上品蓮台寺 |
|---|---|
| 読み方 | じょうぼんれいだいじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-461-2239 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 延命地蔵菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 蓮華金宝山 |
| 院号 | 九品三昧院 |
| 宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
| 開山・開基 | 聖徳太子 |
| 文化財 | 絵因果経(国宝)
|
| 体験 | 有名人のお墓 |
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