そくじょういん|真言宗泉涌寺派泉涌寺塔頭|光明山
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楽しみ方即成院のお参りの記録一覧

京都市東山区にあるお寺です。泉涌寺の塔頭の1つです。
泉涌寺の総門のすぐ横にあります。
こちらは源平合戦で名を馳せた 那須与一にゆかりのあるお寺です。
合戦に向かう前 与一が武運を祈願したお寺です。
与一は戦が平氏が滅んだあと 仏門に入り いくつかのお寺を開基したとされています。
本堂の裏手には与一(与市)のお墓もありました。
山号は光明山 院号は即成院 宗旨宗派は真言宗泉涌寺派 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は伝・正暦3年(992年) 開基橘俊綱です。
ネット情報です。
即成院は明治時代以降は泉涌寺山内にあるが 創建当初は伏見桃山(現・伏見区桃山)にあった。
創立者は藤原頼通の子で歌人 風流人として知られる伏見長者橘俊綱と考えられている。
伏見にあった即成院は豊臣秀吉の伏見城築城に伴い強制的に移転させられ 文禄3年(1594年)大亀谷(現・伏見区深草大亀谷)に移った。
明治初年の廃仏毀釈の影響で即成院は1872年(明治5年)にいったん廃寺となり 仏像は泉涌寺に引き取られた。
1887年(明治20年)に泉涌寺大門付近に仮堂が建設されてようやく復興し 1899年(明治32年)には泉涌寺塔頭の法安寺に吸収合併され 1902年(明治35年)には 大門前から総門近くの現在地に移された。
ということは こちらの場所へ那須与一はお参りされていないということか?

山門

寺標

由緒書

導延命地蔵菩薩

与一の手洗い場


紙石鹸がこの中に

境内のモミジがきれいに紅葉していました


弘法大師像


本堂

本堂

内陣

那須与市公御墓所とあります

本堂から裏へ出ます

サンダルで行けます

那須与市墓

即成院 泉涌寺泉山七福神&通称寺那須の与一さん

即成院 泉涌寺泉山七福神&通称寺那須の与一さん

即成院 泉涌寺泉山七福神&通称寺那須の与一さん

即成院 泉涌寺泉山七福神&通称寺那須の与一さん

即成院 泉涌寺泉山七福神&通称寺那須の与一さん

即成院 泉涌寺泉山七福神&通称寺那須の与一さん

勝林寺の手書き御朱印の開始を待つ間、即成院へ。
御朱印を頂くのはかなり久しぶりです。


東山七福神巡り見開き御朱印(福禄寿)
1月31日までの期間限定だったようですが、期間が過ぎても授与継続するそうです。


次に即成院にてご本尊の阿弥陀如来の御朱印・福禄寿の御朱印・書置きの御朱印をいただきました。
即成院は泉涌寺の一番入り口にあります。
那須与一のゆかりのお寺です。
平安時代の歌人橘俊綱の創建といわれています。
地蔵堂は導延命地蔵菩薩が祀られています。
ご本尊は阿弥陀如来です。
そのた26体の仏像があり、ほとんどが楽器を持っているので仏様のオーケストラといわれていますが
コロナ禍で内陣の見学は中止でした。
また、参拝したいですね。
那須与一のお墓があり、即成院で武運をあげ屋島の戦で扇の的を射落とし名声をあげましたがその後病になり
この即成院で平癒を祈願し入信しました。
これで泉涌寺塔頭めぐりは終わりです。
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本尊の阿弥陀如来の御朱印

福禄寿の御朱印

書置きの御朱印

山門

地蔵堂

手水舎

お不動様や狛狐など

本堂

那須与一のお墓
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