でまちみょうおんどう|臨済宗相国寺派大本山相国寺塔頭大光明寺飛地境内|梵王山
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楽しみ方出町妙音堂のお参りの記録一覧
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出町柳駅近くの妙音辨財天へ。京都七福神の弁財天の札所でもあります。弁財天は六波羅蜜寺では?とよく間違われることがありますがあちらは「都七福神」であり、七福神めぐりとしては別になります。まあ「都七福神」のほうが有名なので仕方ないのですが・・・😅こちらの弁財天も京都では上位に入る有名辨財天なのは間違いはなく、今年は正月から賑わっておられたそう。まあ下鴨神社が目と鼻の先なので巳年の今年は否応なく参拝者溢れますわな・・・😅こちらの御本尊は弘法大師筆と伝わる青龍妙音辨財天画像。西園寺公衡の長女・寧子(大光明院殿・広儀門院)が後伏見天皇の女后に輿入れの折に持参され、以来伏見離宮に祀られていたそう。享保年間に伏見邸が今出川に移転され、さらに明治には東京に遷座。、1901年(明治34年)にこの地の人々の請願により現在地に移されたとのこと。境内には豊川稲荷もありました。寧子が後伏見上皇の菩提を弔うため創建した臨済宗相国寺塔頭の大光明寺の飛地境内だそうで、鳥居の西側には豆餅で有名な出町ふたばが見えます。平日なのに行列で来ていたのであきらめましたが・・・😅
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先に投稿した 豊川稲荷大明神から歩いて10歩ほどの所にあります。
もしかしたら 豊川稲荷大明神はこちらの境内社なのかも知れません。
出町妙音堂・妙音弁財天は 1901年(明治34年)から現在の場所に祀られるようになったとも言われています。
妙音堂の本尊・青龍妙音弁財天画像は 鎌倉時代の1306年(徳治元年)に西園寺公衡の長女・西園寺寧子が第93代・後伏見天皇の女御になる際に 第二伝の念持仏として持参したものと言われています。
その後伏見離宮に祀られ 南北朝時代に北朝初代・光厳天皇 北朝第2代・光明天皇 北朝第3代・崇光天皇と伝承され 江戸時代の享保年間(1716年~1736年)に伏見宮第15代・貞建親王の伏見邸が出町北鴨口に移った際に一緒に移されました。
明治維新後の1869年(明治2年)に東京に移されたが 旧信徒の再三の請願によって現在の場所に堂宇が建立されて祀られるようになりました。
妙音堂は相国寺(しょうこくじ)の塔頭・大光明寺(だいこうみょうじ)の飛地境内です。
と紹介されていました。



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