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れんたくじ|真宗大谷派觸坂堂谷山

蓮澤寺(廃寺?)
京都府 東山駅

拝観不可(規制ロープが張られており近づけません)

蓮澤寺(廃寺?)の基本情報

住所

京都府京都市東山区長光町631

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

蓮澤寺(廃寺?)

読み方

れんたくじ

通称

蓮沢寺

参拝時間

拝観不可(規制ロープが張られており近づけません)

電話番号075-561-5329
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来(火災により焼失)
山号

觸坂堂谷山

宗旨・宗派真宗大谷派
創建時代

応仁元年(1467)

開山・開基

不詳(真言宗)

ご由緒

蓮澤寺は元々は応仁元年(1467。応仁の乱の発生年)に創建された真言宗のお寺で、觸坂堂谷山蓮澤寺と号していましたが、豊臣時代末期の慶長二年(1597。秀吉の死の前年)に近江国蒲生郡の苗村(なむら)神社の宮司一族である順西(本名・苗村正斉)という人物が京都御所の西北角に円覚寺を創建した際に、引き連れて来た家来の一人にこの寺を与え、円覚寺の末寺として真宗大谷派に改宗したそうです。
その後、江戸時代を通して貧しい人々、封建制度の中で虐げられていた人たちの心の拠りどころとなったお寺だったようです。そして明治時代に入ると、東本願寺によって設立された慈恵会による生活困窮者のための巡回診療の拠点となりました。
そんな中、当時の住職だった葛城法順氏が日露戦争に志願兵として出征。激戦地として知られる南山の戦いで戦死してしまいました。明治三十七年(1904)五月二十五日ないし二十六日のこととされ、享年二十七歳。
昭和十三年(1938)蓮澤寺は火災に見舞われ、庫裡のこたつの火の不始末から出火し、本堂40坪を全焼、更に付近の民家に類焼する火災となり、損害額は五万三千三百十五円にのぼったとされます。本堂などの主な建物が残っていないことから、現在西側に残っている鐘楼や門は、この火災で焼け残ったものと思われ、火災のあと再建されることなく現在に至っているものと思われます。
この火災で親鸞上人作と伝わる阿弥陀如来像も焼失してしまったと伝わりますが、一方で『真宗大谷派本願寺宝物一覧』(明治33)に記載されている、東本願寺開基・教如上人の真筆と認められていた六字名号「南無阿弥陀仏」の掛け軸一幅については本堂と一緒に燃えてしまったのか、それとも焼け残ったのか、とくに記録が残っていません。
東本願寺京都教区のホームページには現在も蓮澤寺が紹介されており、おそらく廃寺になったわけではなく、再建の見込みが立たずに放置されている状態なのだと思われます。

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